記 仕立 亮一
正月に取り付きがわからず敗退した2ルート、今回こそ登ろうとやってきました。
今回のパートナーは前回、くりまんじゅう1つで手なずけた(・・・うそです。ごめんなさい)井内さんである。

2月20日 赤岳主稜
「赤岳主稜雪辱戦」と気合も充分。しかし、「雪辱戦」などといいつつ山に行くと、たいてい逆に山からカウンターをくらうので、謙虚に「登らせていただきます」という態度をとりあえず装う。
美濃戸まで車はなんとか入り、歩き始める。出発したときは雲1つない青空だったが、だんだんと雲行きがあやしくなってきた。そうして私たちが赤岳主稜の取り付き付近に到着したころには、黒い雲が完全に空を覆っていた。
今回はばっちり取り付きがわかる。(正月山行は今回の偵察だったのである。??)上部岩壁にはだいぶたくさんの人がおり、渋滞している。しかし、これから登り始める私たちには関係ないのである。(とりつくの遅いんじゃ~!)順番待ちはなく、時間差出勤(実はそんなつもりは無い?)は、ほぼ成功といえよう?。

最初のチョックストーンをずりずり越える。雪が多くけっこう悪いが岩は硬いので正月のショルダーのようなプレッシャーはない。でもそのうちすごい地吹雪になってきた。たちまち眉毛とまつげが真っ白に凍りつき、村山元総理のようになる。

井内さんは鼻が真っ白になっており、(凍傷一歩手前)
「井内さん!鼻白い!鼻白い!」と言うと
「おお、忘れてた。やっべ~」と井内さん。
とにかく寒かった。
夢中でのぼり続け、赤岳頂上についたときにはもう、「生き抜くことは冒険だよ」状態になってしまった。(写真参照)

赤岳主稜は、さむかったからか?岩は結構しっかりしており、しっかりホールドできて登りやすく感じた。(環境的にはきびしかったですが。)
晴れていればきっと快適だろうなあ、と思う。
文三郎道を足早に下山。雪は多くて、悪名高き「鉄はしご」も一部雪に埋もれていた。赤岳鉱泉まで下山すると、井内さん友人の逆境に強い男、藤野さん&その2人の友人も加わっており、ずいぶんとにぎやかになった。
となりの藤野テントでは鍋で宴会が始まる。(元気やな~)
井内&仕立コンビは疲れていたため、酒もほどほどにすぐ?寝てしまった。


2月21日 石尊稜
2日目、私たちは石尊稜へ向かう。藤野さん&友人2人も石尊稜を登るようだ。2人は藤野さんに負けず劣らず、逆境に強そうな感じである。1人の人は、建設JVの「来客用」ヘルメットをかぶっており、なんだか仕事場っぽい。
出発準備を済ませ、藤野さんたちのすこし後に出発する。空はまだ晴れており、今日は昨日にくらべれば早い出発なので悪天にはつかまらんだろう。と予想していたが、甘かった。結果的には昨日とまったく同じ天気模様、天候悪化のタイミングも同じ感じになり、「時をかける少女」のようなデジャブ状態?になる。トレースが風と昨日の降雪でなくなっており、人気ルートの石尊稜をトレースなしで歩く。これはラッキーだった。雪も多くて所々ナイフリッジになっており、歩きながらしばし恍惚とする。
途中でコンテに切り換え、悪い天気の中、またまた村山総理になりつつ登る。
最終の上部岩壁まで登り、そこから右にトラバースし、(ここは以前井内さんと三叉峰ルンゼを登ったときに通った道なので、迷いはなかった。)一般縦走路に出て石尊稜は終了した。
そのまま一般道を縦走し、ダッシュで地蔵尾根をかけおりる。(地蔵尾根は結構ダッシュできる。)

下山後の赤岳鉱泉では正月に引き続き、またしてもおでんをいただき、(500円)、みそ汁をタダ飲みし、美濃戸へと下山した。







今回は天気がわるかったがその分、ルートにとりついている人もすくなく、またトレースがなかったのでとても充実した山行ができた。

だれもあるいていない雪稜を歩くのはとても気持ちのよいものです。

以上報告は仕立でした。