黒覆尾根~池山尾根奮闘記


記 田中健一



メンバー 田中健一、中西正大、中村 新、足立健一 期間 1992年3月20日~22日


黒覆尾根は数年前の2月に一度挑戦し、2月には珍しい大雨によって敗退を余儀なくされたルートであった。そのためいつかチャンスがあればもう一度挑戦したいと以前より考えていた。黒覆尾根はかっては飯島町によって登山道が作られ、伊那側から南駒ヶ岳に登るルートとして使われていたらしいが、整備がされなくなって久しいらしく、岳人の記事を見ても夏は通行不能になっているとのこと。取り付きで迷うかもしれないことを想定して入山した。

3月20日 晴れのち曇り  シオジ平からの道は10分も歩くと熊笹の中に消えてしまったが、幸い残雪によって笹が倒れていたのと、古いながらもテープも所々に残っていたためそれを目当てにオンボロ沢沿いに忠実に道をたどっていくことができた。小麦沢の出合あたりで一度沢に出て、再び道は巻きながら登っていく。しかし、岳人の11月号の記事にあったようにイヌ沢の出合に出る前に道は完全になくなり、濃厚な熊笹のブッシュとなった。そのため、残雪をたどりながら黒覆山から南にのびる尾根へ取り付くべく、ルンゼに入っていった。ルンゼは部分的に急な所もあったが、残雪に助けられながら、余りたいした薮こぎをする事なく稜線にたどりつくことができた。稜線にでれば、しっかりと残雪が残っており、あとは快適に黒覆山を経てP1919とのコルにたどりつくことができた。本来はここで幕営の予定ではあったが、時間も思ったより早く、また明日の悪天に備えて少しでも上に上がっておこうということでP1919に向けて登った。P1919からの下りは若干やせてはいるがまだ樹林帯でもあり、アイゼンなしでも安心して行動できる。岳人の案内によれば黒覆山とP1919のコルを過ぎれば幕営地は田切岳までないということであったので、P2176への登りの途中のやや開けた場所に幕営地を求めた。

3月21日 雨のち雪のち曇  日没直後は伊那や木曽そして名古屋方面の町の明かりがよく見えていたが、夜半過ぎから雪となり、朝方にはそれが雨になった。予想していたことではあったが、日程は3日しかなく、回復も明日までは期待出来ない天気予報の中やむを得ず、雨の中を出発した。P2176を過ぎたあたりから核心部に入ること予想していたが、P2176からも相変わらず、樹林の中の登高が続いた。2400mあたりになると、次第に尾根も痩せはじめ、鎖が出ているところでアンザイレンをし、ナイフリッジに入った。小さなコルに出て、そこから斜面を1ピッチ登ると雪稜となり、さらにナイフリッジの雪稜1ピッチで右斜面コルへの下降となった。このころから気温が急激に下がり始め、今までの雨が雪に変わり始めた。見る見る間に濡れた物が凍っていくのがわかる。コルから見る正面の尾根は岩壁に阻まれ、ガスがかかっていることもあり絶望的に見える。とりあえず足立さんトップで左のガリーから取り付く。ガリーを1ピッチ登り、小さなコルへ、ここから正面の草付き帯に取り付く。草付きは傾斜はあるが、思ったほど厳しくはなさそうである。田中が取り付くものの、10m程上がったダケカンバでギブアップ、足立さんに代わってもらい何とか抜けきる。再び1ピッチのナイフリッジで、懸垂場に至る。濡れたザイルはこの頃には凍って棒のようになっているため極めて操作がしにくい。40mいっぱいの懸垂でルンゼに降り立ち、ルンゼを10m程登って再びコルに出た。コルでザイルをしまい、雪壁を登ると次第に傾斜は緩くなり、ピークに出た。我々はこのピークを赤梛岳であると思っていたが下降路が見つからず、どうもおかしい。次第にガスが晴れはじめ、正面に大きな尾根が見えはじめて初めて我々がいるところが田切岳であることに気づいた。田切岳からは雪壁を2ピッチ懸垂で下降し、百間ナギのコルに降り立った。コルからは雪稜を登っていくとすぐに赤梛岳のピークに出ることができた。すでに時間は5時である。ここまでくれば楽勝と思っていたが、稜線は思った以上に風が強く、また、雨が凍ったためカチカチのアイスバーンになっており、少しも気を抜くことができない。空木岳まで1時間30分程で行けるとふんでいたものが、稜線の悪いトラバースに時間を取られ、空木岳につく前に日没を迎えてしまった。ヘッドランプを出すが、低温のため極めて消耗が激しい。真新の電池をいれておいたものの空木岳に着くと、僕のヘッドランプはつかなくなってしまった。空木岳からは池山尾根を下降すれば駒峰ヒュッテに着けるはずだが、暗闇と強風のためなかなか下降路がわからず、また下降してもなかなかヒュッテは見つからなかった。たまたま、ヒュッテの中に先行パーティがおり、その明かりが一瞬見え、ヒュッテにたどりつくことができた。ヒュッテには先行パーティがいてくれたおかげで、小屋を掘り出す手間もはぶけ、転がり込むように小屋に入った。  小屋につきすぐに暑いお茶を沸かすが、予想以上に足立さんと中西さんの消耗が激しい。食事を済ませ、明日の天候回復を祈って早々に眠る。

3月22日 快晴  夜半はものすごい風が吹いていた。ビバークしていればかなり苦しいものとなっていたであろう。夜明けとともに風が弱まると予想できたので、ゆっくり起き、8時40分駒峰ヒュッテを出発した。池山尾根の上部は広いなだらかな尾根であり、風は強いものの昨日ほどではなく、360度の展望を楽しみながら下降して行ける。しかし足立さんの体調は極めて悪そうである。昨夜は嘔吐と苦しさのためほとんど眠れなかったとのことである。とにかく下山するしかない。P2145の直下のコルで休憩。ここで昨日停滞し、今日は空荷で空木岳に登るというパーティに出会う。ヨナ沢ノ頭から小地獄、大地獄のトラバースに入るが、ここで先ほどの休憩時にカメラを置き忘れたことを思い出し、取りに登り返す。小地獄、大地獄のトラバースは予想以上に悪く疲れた体にはこたえる。ここの通過に時間がかかり、足立さんの消耗はかなり激しくなる。池山小屋まで来ると雪はなくなりはじめ、後はとにかく歩を進めるだけとなる。4時、ようやく駒ヶ根スキー場に下山。苦しい山行に終止符を打つことができた。

反省と課題  黒覆尾根は思った以上に長い尾根であった。日程が3日であったこと、中日に雨に降られ、しかも高度を上げるにつれ、冬型になり気温が下降、また強風にあおられダメージは大きなものがあった。やはり体力強化を常日頃からはかっておくことが必要であること、また雪に対する技術がまだまだ自分自身未熟であることを痛感した。しかし、反面かなり苦しい山行であっただけに、その分充実感は大きく、今後の山行に備えての意欲がふつふつと沸き上がるこの頃である。