記:川奈部 隆之

 


 連載と書きながら、前回書いてから1年以上の月日がたってしまいました。みんなこの連載のことも私のことも忘れてしまっているのではないかと不安になりつつ、この連載を書いています。気がつけば任期も残り半年、泣いて笑って怒ってのエジプト生活もあと少しとなりました。正直いうとアラブ人化しつつある私がうまく日本の社会に戻れるのか不安が一杯な今日この頃です。

私たち協力隊は任期の2年間、日本に帰るどころか任国外に出ることも禁じられています。でも一度だけ任国外研修旅行という名のもとで、任国外にでるチャンスがあります。規定された国しかいけないのですが、その中の国モロッコに4000mを超す北アフリカ最高峰の山があることを世界地図の中で発見し、行き先は決まりました。
~Mt,ツブカル登頂記~

ううぅぅ・・しんどー。久しぶりの山登り、そして重荷、マジで堪える。マラケシュから2時間ツブカル山の登山口となるイムリルという村に昨夜着き、今朝、野菜などを買い込み村を出発した。最初こそ、雪に抱かれた山々、ベルベル人の羊追いの少女を見つつ、久しぶりの重荷も懐かしく、ウキウキしていたが、エジプト生活でビヨォ~ンと伸びきった体はすぐにその正体を現し始めた。日本にいたときの感覚で、これくらいは楽に担げるだろうと、ボコボコといろんな物を放り込んだのがさらに拍車をかけたようである。ああ、こんなことなら馬方を雇って運んでもらえば良かった。(イムリルからツブカル小屋までは馬で荷物が運んでもらえ、ほとんどの登山者がそれを利用していた)

バテバテのなか夕方の4時、3200mにあるツブカル小屋に到着する。こんなにバテたのは、高所を除いては初めてのことだ。食欲も全然なかったが、せっかく担ぎ上げた食材を使わねばという気持ちで作って食べるが、作った料理が大失敗で、余計しんどくなり、ノックダウンされる。

しかし、この小屋はすごくいい小屋である。自由に使うことができるキッチンも綺麗だし、部屋もすごくいい部屋だ。最近新しくできたそうでフランス登山協会がお金を出してつくったようである。どうりでフランス人が多いわけだ。小屋のキッチンの責任者のモロッコ人と仲良くなる。モロッコ人はアラビア語を話すんだけど、エジプト方言とは全然違うなぁ。でも私のいうことは割合に通じる。でも、相手の言うことは???である。で、みんなそんなエジプト方言を話す私を笑う。親しみもこめて。関西弁を習いそれしか話せないアメリカ人が、鹿児島に旅行に行き、相手は関西弁は一応解るが、彼には薩摩弁がまったく解らないといったところか。たどたどしい関西弁を話すアメリカ人。そら笑うわなぁ~。

翌朝8時、頂上を目指し小屋を出発する。小屋をでて、急登を登る。下から見ていたときは、アイゼンなしでこんな斜面を登れるのか?と思っていたが、まだ新雪は薄く、夏道が見え隠れしている状態なのでそんなに危険はない。ホッとする。

10時半、目指していた2つの山の間のコルに立つ。景色が突然広がる。ガスの中をよく目をこらすとサハラ砂漠が見える。雪のある山から見えるサハラ砂漠不思議な光景だ。

コルから左の山を登ること1時間、4158mのツブカルの頂上に立つ。最後の1時間の登りが、本当にきつかった。高所のせいか、たんに体力不足かたぶん後者だな。頂上には鉄でできたピラミッド状のケルンがあった。サハラ砂漠の方は、雲が湧き上がりいまいち視界がきかないが、その他の景色は最高である。朝食も食べず早朝に出発した外国人のパーティー達は、私が登っている間に、みんな下山したので、静かな頂上を満喫できる。日が昇るにつれ、ポカポカと暖かくなったこともあり、水筒の水と頂上の雪を混ぜてお茶を沸かし、ツブカルを頂上で食らう。んまい!これほどおいしいお茶はなかなか飲めないなぁー。

転がり落ちるように頂上から小屋へと下山する。調子に乗りすぎて、膝がガクガクになってしまった。うーーん筋力が落ちてるなぁ~。この日も小屋に泊まる。

翌日9時半、お世話になった小屋を後にする。下山路の周辺に転がってる、2,3の岩でボルダ―を楽しむ。特にお尻のような形をした岩のクラックにフィンガージャムを効かせて登った課題はなかなかHで、いいクライミングだった。13時半イムリルに到着し登山も終了する。

久しぶりの山登り、久しぶりの雪山、本当にいい登山だった。しかしこのビヨヨォ~~ンと伸びきった体をなんとかしないとなぁー。あと半年後、みなさんと山を共にできる日を楽しみにしています。またよろしゅうたのんます。

                          どてちん