いまさらですが、正月山行の記録を書きました。もう半年前ですね。
日程:2017/12/26~2018/1/1
メンバー:鹿、縄
12/25 滋賀→伊丹→新千歳→札幌
鹿は先行して北海道へ。仕事を途中で放り出して飛行機へ乗り込んだ。(すいませんすいません)
札幌に着いて、大学の後輩の大ちゃんの家にお世話になる。今回大ちゃんには資料集めを手伝ってもらったり、入山口へ送ってもらったりとお世話になりっぱなしである。もう足を向けて寝られない。
12/26 札幌→新千歳→静内ダム C0
レンタカーを借りて大ちゃんと札幌を出発。お昼前に新千歳で縄さんを回収してそのまま静内へ。道中雪はほぼ見当たらず、ちゃんと尾根に取り付けるのか不安になる。雪山で藪漕ぎするのはあまり気が進まないものだ。静内で軽くお昼を食べ、ホームセンターでガス缶を購入し、ヤマトに営業所留めで預けていた荷物を回収。用事をすべて済ませ、これ以上町にとどまる理由が無くなってしまった。これからの長い行程を考えると少しブルーになる。
町から静内ダムへ向かう道にもほとんど着雪はなく、案外すんなりとダムに到着できた。雪がなければ車で林道に入れるかもと期待していたが、やはりそう甘くはなく、ゲートは固く閉ざされていた。50㎞林道、潔く歩くしかなくなった。
夕暮れが迫り薄暗くなり始めた静内ダムは、曇天と吹き荒ぶ烈風のせいで、この世の終わりみたいな雰囲気さえ感じられる。ライトバンが風で上下にゆすられる中、寒さに耐えながら荷物を準備する。道の駅かどこかでゆっくり準備するべきだった…。やっとこさ荷物をザックに詰め終わり、出発写真を撮って、ついに出発。札幌に戻る大ちゃんを見送りゲートを越えて歩き始める。そして30秒ほど歩いたところで、ふとあることに気が付いた。あれ、アイゼン入れたっけ???ザックを下して確認するとやっぱり無い。車に置いたまま詰め忘れてしまったようだ。仕方ないので大ちゃんを呼び戻そうとスマホを探すと、なんとスマホも車に忘れたことが発覚。がーん。
縄さんが大ちゃんの連絡先を知ってるはずもなく、僕も電話番号やメールアドレスを覚えていないので連絡手段がない。これは本格的にやばい。もしかして札幌まで取りに帰らないといけないのか?そうなると2日分のロスは必至、予備日を潰すことになるので南西稜にすら突っ込めずに敗退することになるかも…。冷や汗が止まらない。とここでしばらく悩んだ結果、SNSで連絡を取れることを思い出した。少し街側に戻ったところで弱いながらも電波が通じたので、さっそく縄さんのスマホを借りてFBにログイン、通話やメッセージでを連絡を試みる。しかし通話もつながらないしメッセージにも反応がない。やべー、どうしよう。焦った挙句とにかく連絡をとろうとタイムラインに投稿するという暴挙に出るなどして、1時間後なんとか連絡がついた。大ちゃん、縄さん、そして関係者の皆さん、大変ご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。
忘れ物を届けてもらうともう辺りは真っ暗。ほんとは夜通し歩こうと思っていたのだが、もはや何をする気力も残っていないので、今夜はダム手前のスペースにテントを張って泊まることにする。縄さんすみません。その代わり明日はめっちゃ早出することにして就寝。夜中にダム管理の人たちと思われる車がたくさんゲートの奥から戻ってきてテントの横を通り過ぎて行った。仕事納めだろうか、お疲れ様です。
↑大ちゃんと3人で出発写真 (絶望の淵に叩き落される数分前)
12/27 C0→→→ナナシ沢出合 C1
今日は2時起き。真っ暗な中歩き始める。ようやく静内ダムを出発できて少しホッとする。林道は除雪されていてラッセル皆無だが、路面がつるつるに凍っていて歩きにくいことこの上ない。かといってアイゼンを出すのも面倒くさいのでそのまま歩いていく。あまり寝ていないせいか時折猛烈な眠気に襲われながらもひたすら歩く。歩く。歩く。
およそ3km/hのペースで歩いて、15:00に目標のナナシ沢出合に到着。林道横に適当にテントを張る。ここまで約35㎞。めっちゃ疲れた。
↑凍てついた林道。林道の半分以上はこんな感じだった。
↑ダムと流氷?
↑つるつるつるつる~
12/28 C1→林道→尾根取付き(co610)→1372 C2
引き続き林道歩き。昨日から気になっていたが、我々よりも1日か2日前に同じ道を歩いている2人組のパーティーがいるようで、ところどころに足跡がついている。トレースの無い山を楽しめると思っていただけに少々残念。
途中の分岐から除雪が無くなり、スノーシューを着けて前のパーティーのトレースを辿る。ちゃんと地図通り実線の林道を歩かないと、建設途中で放棄された橋で行き詰ったりして結構めんどくさい。清和橋を渡って南西稜の610m地点から林道を離れて尾根に乗る。雪は深くなくササが出ているが、そこまでうっとうしくもなく、標高が上がるにしたがってまばらになっていく。尾根に乗るところあたりでトレースから離れたが、しばらく尾根を辿るうちにまた同じ場所を歩くようになった。1166を越えると尾根は傾斜を増し、雪面も固くなり始める。急なところもスノーシューで頑張って、緩くなった1372で行動を切り上げる。ここは雪がたまっていて良いテン場。電波が普通に通じたので、会のメーリスに生存と進捗の報告を入れて就寝。
(この先札内川に降りるまではずっと電波が通じた。)
↑スーパー林道計画の名残 渡れないので回り道
↑清和橋 ここまで遠かった…
↑尾根取付地点 藪漕ぎというほどでもない
↑尾根上は広くて快適
12/29 C2→シカシナイ山→1812→1810ポコ先のコル C3
1372から少し上ると、すぐにシカシナイ山に着いた。特に何もないただの緩いピークだった。
ここからはやっと稜線らしくなってくる。危険ではないが面倒なところが続く。アップダウンに加えてハイマツのズボズボや硬くて急なトラバースなどなど。縄さんはスノーシューに慣れていないので、下りでかなり苦戦している。まあちょっと固くなってきたしアイゼンで歩いたほうがいいかな、と思ってスノーシューを外すと、今度はすぐラッセルになったりして非常にめんどくさい。つらいので、ズボッとはまるたびに吠えながら歩く。人の多い山だったら、こんなに奇声を発してたら怒られそうだ。天気は回復傾向で、たまにギザギザの南西稜や、南にどっしりと構える1839峰の姿を遠目に眺められる。しかしまだカムエクは姿を雲の中に隠している。
↑薄明るくなってから出発
↑シカシナイ山
↑これからの長い道のりが見渡せる
1812の手前は細いところやかなり急な登りが出てくる。ハイマツなどをつかみながら登れるが、少し緊張する。1812を越えるといよいよ南西稜。目の前には真っ白な尾根が伸びている。そうそう、こういうところを歩きたかったんです!最高!林道の100万倍楽しい!楽しすぎて一瞬で今日の宿泊地、1810ポコ先のコルに着いてしまった。コル東側にはたっぷり雪がたまっていて幕営にピッタリ。雪洞も掘れる。とここでイグルー跡を発見し、先行パーティーが北大山岳部だということが明らかになった。(こんな所でイグルーを作るのはあいつらしかいない) 一方プリミティブさを志向しているわけではない我々は、そのすぐ近くにテントを立ててブロックを積み一夜の宿とする。周りに木は皆無なので風が心配だったが、非常に穏やかな夜だった。あんまり寒くもなくて幸せ。
↑1821への急な登り
↑1821先の真っ白な雪稜 たーのしー!
↑1821を振り返る なかなかかっこいいピーク
↑かっこいい写真が撮り放題!
↑1810ポコ先のコル イグルーは北大山岳部の十八番
12/30 C3→1848→カムエク→ピラミッド→1807→右岸尾根1640コル C4
ついに憧れの南西稜核心部に足を踏み入れる日がやってきた。地平線が色づき始めた頃に出発の準備を始める。天気はまさに雲一つない快晴。コルからわずかに登ると、目の前にカムエクがいた。
この気持ちをどう表現すればいいのだろうか。ずっと心に思い描いていた白いカムエクが、いま一点の曇りもない姿を目の前に見せている。年末の時期にこんな好条件でこの場にいられることは本当に奇跡に近いだろう。こんなにも進むのが惜しいと思ったことはない。できればずっとここでその姿を眺めていたい。カムエクは日の光で刻一刻と表情を変えていく。すべての瞬間が美しかった。興奮しているような、さみしいような、半ば夢の中のようなフワフワとした気持ちで、長く美しい尾根を辿った。
↑夜明け 十勝平野から日が昇る
↑薄明のカムエク
↑日高の山並みの向こうに太平洋が広がる
東側に小さく雪庇ができているので西側のブッシュが生えたところをたどったりする。1848までは特に難しいところはない。真の核心部はこの先だ。岩稜を左右にかわしながら進んでいくと、コルの直前でどうしても上をいくしかない極細の雪稜が出てくる。まさに靴幅。左に落ちればカムエク沢、右に落ちればコイボクカールに真っ逆さまだ。緊張の数歩だった。そしてその先はギャップとなってコルに落ちている。これは懸垂下降かなと思いきや、山岳部のトレースを見るとバックステップで降りているようだ。まじかよ…。さすがに負けられないので、必死にハイマツを掘り出して握りしめながら、何とかコルまで降りきる。怖い。でも結局ロープは使わなかった。これで核心部は終わり。コル先の岩稜を右から越えると、あとは200mの登りだけ。バテながら必死に登りきり、ついにカムエクの頂に立った。
北には少し遠くにエサオマンやトッタベツ、ポロシリが臨まれた。昔エサオマンからこっちを眺めてカムエクかっこいいなあと思っていたのがしみじみと懐かしく感じられる。山頂には意外にもほかの登山者が2パーティもいて、両方とも右岸尾根から登ってきたようだ。うち1パーティは北大山岳部だったが、南西稜を先行していたのは彼らではなく彼らの先輩たちということだった。この時期にこんなに人がいるなんて予想外だ。ペースの遅れている縄さんの到着を待ち、二人で握手と記念撮影。風が寒いので長居はせず早々に東へ下り始める。
↑1848先。
↑ナイフリッジ! 山岳部のトレースばっちり。
↑核心部
↑カムエクへの最後の登り もう怖いものはない
↑カムエク登頂!
カムエクからはしばらく広い尾根の下り。短い区間だが日高の主稜のど真ん中だ。ピラミッド(1863峰)の登りは急で一か所岩にアイゼンを置いて登るようなところがあったが、あまり問題にはならない。1807峰手前は少し細いところや両側に雪庇が出ているところがあり、案外気が抜けなかった。
1807で景色を目に焼き付けて、主稜を離れる。急なやぶの斜面や細い尾根を下っていき、1640コルまで降りて行動終了とする。何とここにもイグルーが。こちらはおそらくカムエクの頂上で会ったパーティのものだろう。
何はともあれ無事カムエクを越えられた。今日は本当に最高の一日だった。縄さんは連日の行動と今日のカムエク越えで相当グロッキーだが、ここまでくれば後は降りるだけだ。
↑ピラミッド峰
↑ピラミッド頂上
↑1807手前
12/31 C4→札内川七ノ沢出合→札内川ヒュッテ C5
今日も朝焼けが美しい。しかし予報では低気圧の接近で今日から下り坂だ。1660ポコからはしばらく歩きやすい尾根が続き、1227から七ノ沢出合に向けて一気に標高を落としていく。最後はスーパー林道の橋の上流側に降り立った。出合では札内川を遡行していくパーティを見かけたが、どうやら北大ワンゲル隊だったようだ。ガンバ!ここからはまた林道歩きの始まり。黙々と歩いて2時間ほどで札内ヒュッテ着。少し早いが泊まるしかない!札内ヒュッテは薪ストーブの快適な小屋で、夏はここまで車で来ることができるためよく整備されている。荷物を乾かしたり小屋を掃除したりしていると、昨日頂上で会った山岳部パーティも小屋にやってきた。彼らは左岸尾根から八ノ沢へ降りてきたようだ。夜はウィスキーを分けてもらったり、伝統料理カレー雑炊の作り方を見せてもらったりと大変お世話になった。聞くと南西稜を先行していたのは僕もよく知っている後輩で、カムエクを越えたあとそのまま1839峰まで足を伸ばしているらしい。すごいなあ!(彼らの記録は2018年4月号の山と渓谷に載っているので、興味があればぜひ読んでみてください)
僕と縄さんは早々に寝たが、山岳部はラジオで紅白を聞いたり年越しそばを作ったりしていた。そういえば大晦日だった。
↑朝焼け
↑林道
↑札内川ヒュッテ
1/1 C6→札内川ダム→上札内→中札内
あけましておめでとうございます。外は夜のうちにずいぶん雪が積もっていて、今もなお降り続いている。昨日のうちに降りてこれてよかった。山岳部が寝ているうちに小屋を後にする。長く真っ暗なトンネルをいくつも越えて、いい加減飽きたころに札内川ダムに到着。ここが冬季の車止めなので、ここで下山となる。長かった。縄さんと山行の完遂を喜び合う。お疲れさまでした、さあさあ街に帰りましょう。電波が通じるので早速タクシー会社に電話をかけて迎えに来てもらおうとするが、しかしここに重大な見落としがあったのだった。
①正月、②北海道の田舎の山奥の除雪終点、③大雪で道路に30㎝の積雪
ここから導き出される答えは、わざわざ書くまでもないだろう。電話を受けたタクシー会社のおじさんの気持ちは今なら容易に察することができる。交通手段のあてを無くした我々は、想定外の歩きを強いられることになった。
上札内の集落までは18㎞。まあ初日の林道歩きに比べたらましでしょ、とはじめは軽く考えていたが、歩き出すとすぐに辛くなってきた。モノトーンの変わらない景色。周りは森と牧場(雪原)ばっかり。降り続く雪。濡れる身体。南西稜の感動も遠く過去に消え去り、何でこんなことやってるんだろう…と悔やみながらひたすら歩く。そしてその横をデポしていた車で颯爽と駆け抜けていく山岳部…。6時間後、すっかり心が折れ切ったころに、ようやく上札内にたどり着いた。上札内の何もなさに気づいて絶望していると、近くで雪かきしていたおじさんが声をかけてくれて、何と中札内まで車で送ってくれることに。ありがとうございます!!!中札内の道の駅まで送ってもらい、向かいのマックスバリュで酒と食料を買い込んで道の駅で打ち上げ。さっきまでのどん底から打って変わってすっかりいい気分。人の温かさに触れ、中札内村にふるさと納税することを心に誓った。
↑大雪の中を出発
↑札内川ダム 下山完了?
↑試される大地 本当に辛い
↑大都会、中札内
1/2
朝一のバスで帯広へ移動し、そこから高速バスで帰札。やっぱ都会はいいね~。すすきのでジンギスカンを食べたりして、後半のアイスクライミングに向けて英気を養った。お疲れさまでした。
記:鹿
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