LA HAUTE ROUTE
記 山本陽子

企画  アトラストレック メンバー 長谷川祐司、山本陽子 ツアー参加者 合計13名        ガイド1名、現地ガイド1名 期間 1990年4月20日~5月3日  

4月20日
京都駅16:00のリムジンバスで大阪空港17:00。(20日の週末なので早めに行く)18:45JAL142便で羽田へ。19:40着。久しぶりの飛行機。夜のフライトもなかなかきれいでした。黒い布にビーズをこぼしたようで。(ちりばめられた宝石を見たことのない私)21:00最終のリムジンバスで成田空港へ。

4月21日 雨

8:20SWISSAIR団体カウンターに集合。4月7日、8日の顔合わせがなくても荷物で一目瞭然。  生まれてはじめての出国手続き。えらくおこられてしまった。ちょっと立つ位置がずれてただけなのに。こわかったぁー。ツアーのみんなも驚いていた。朝食をとっていない私たちはひもじい思いで機内へ。(長谷川さんはしっかりタバコとお酒を免税店で買っていた)機内食をあてにしていたがお昼まで出ない。FD以外の食料は現地で調達ということで何もなかったので、さっそく友人にもらった差し入れを食べる。やっと飲み物が出て、私はジュース、長谷川さんはいきなりバドワイザー。朝食抜きで、お菓子もあまり食べずビール1本たいらげる。長谷川さんのエネルギー源はアルコールかしら?と思う私。おっとここで待望の機内食。しばしペンを置いてフォークとナイフにかえさせていただきます。その前にトイレにいってこよっと。機内食が良かったことは皆様のご想像におまかせして(私はパンのおかわりをしてしまった)9時間40分モスクワ空港着。給油のため降りる。暗くて活気のない空港だった。時刻は昼だが、私の体内時計は夜。体の底から睡魔が押し寄せる。チューリッヒに降り、飛行機を乗り継いでジュネーブへ。現地時刻20:00夏時間でまだ明るい。バスに乗りジュネーブ市内を通りフランスシャモニーへ。暮れていく中、ボソン氷河やモンブラントンネルのすぐ横を通り、高速へ。日本時間4月22日朝4:00、現地時間4月21日夜21:30ホテル着。徹夜した気分でぐっすり寝る。おかげで時差ぼけせず。

4月22日 曇り

午前中スネルスポーツで登山用品の調達。ここには今回お世話になった中島ガイドとともに前後半に分けて、お世話になった神田、神保両ガイドの勤務されている店である。こちらで日本人登山客のトラブルは全て神田氏の所へ集まり、対応処理されるそうです。午後はゴンドラでシャモニから一気に1999mのプランプラへ。そしてロープウエイで2526mのブレバンへ。ブレバンの壁に圧倒される。壁は300mくらい?。岩質が脆いのと、他にたくさんあるので登攀対象にはならないらしい。ただ夏の避暑をかねて登りに来る人もあるらしい。壁を螺旋状に滑り、リフトに乗り、付近で足慣らし。みんな飛ばす飛ばす。ゲレンデといっても日本とは違う。どう違うかと言うと、日本のように樹木を切り倒し、斜面をつくるのではなく、自然の斜面をゲレンデにしているというのか…。ブレバンの壁をまいて下るコースもすべり台のようになっており、一息ついて見上げると壁が真横にそびえ立っておりその横を滑っていくのだから感激ものでした。

4月23日 夜半より雪のち雨

エギーユ・ド・ミディへ行く予定が中止。自由行動となる。午前中買い出し、午後昼寝と散歩。

4月24日 曇り

いよいよオートルートへ出発。午前中買い忘れた物を買ったり、パッキングをして、午後1時ホテル前集合。バスターミナルへ行き公共バスでラ・ロジェールからロープウエイでグランモンテスキー場(3295m)へ。身支度を整え、スキーをはく。緊張。天候はガス。アルジャンチュエール氷河へ滑り込む。遅れまいとする気持ちと緊張で何度もこける。ホワイトアウトの中、ガイドの道先案内によってクレバスをさけて氷河へおりる。広い氷河の上で休憩とシール付け。少しガスが上がり、氷河を囲む針峰群や岩峰が見える。「おお!すごい!」「これがヨーロッパか」という感じ。「只今、アルジャンチェールの小屋でティータイム。夜の7:45ですがまだ日は沈まず。小屋の食堂の大きな窓の外にはベルト針峰、ドロワット北壁(正面)クルトが夕日に輝いています。ガスも上がり、青空で言葉で表せないロケーション。ドロワット北壁の青氷。私にとっては写真で見る世界。それが今目の前に広がっているんです。夕食は実だくさんのスープ、ビーフシチュー、付け合わせのポランタンというトウモロコシをつぶして蒸したもの、パン、デザートはリンゴのプレザーブとても豪華。こちらは山が大きいため、テント生活はほとんどなく、小屋を利用する。それ故、小屋は充実している。小屋に泊まるために、ここまで来る人もあるそうです。小屋内は機能的で快適。スキー靴をぬいだ後の靴がある。自分の荷物をいれるカゴがありそれが収納できる棚がある。書いてみるとたいしたことではないが、実用的、便利、スマートである。他人とのトラブルも少ないと思う。日本でもこうなればと思う。ただトイレは笑うものがある」

トイレその1

ここのトイレは女性にとってどっちを向けば良いのか迷います。目的によって向きを変えなければなりません。わかります?紙は字の書けそうな紙。

4月25日 ガス

前半の山場、シャドルネのコルへの登りはガスの中、2時間延々と列になって登る。視界がきけば雄大な景色と登りの長さが味わえたろうが、幸か不幸かガスの中。コルの少し手前からガスが切れ、雄大な山々と登ってきたトレースや、登ってくる人が蟻のような景色で広がる。景色を味わうのもそこそこに、シールを外し行動食をつめ込み荷物をまとめ、スキーをセットし、女性からザイルで確保され下る。下が判らない程落ちている。2人目におりる。身を乗り出し、エイッとばかりに斜面に飛び込むが、スパット落ちガリガリに凍っており、スキーの長さの分の溝になっている。ザイルに引っ張られたり、緩められたりされ、転倒を何度もし、滑落した部分もあり、下の神田ガイドの所までたどり着き、クレバスをよけ、落雪の危険のないところで全員を待つ。斜度45度くらい?40mザイルいっぱい。生まれて初めての斜度。ガスが切れ、針峰群に囲まれた雪田にいた。遮るものは何もない。標高3000m付近にいるため気温は低いが日差しが強く、動くと暑い。シールをつけサレーナのコルにさしかかる。最初は緩やかで、コル最上部手前はスキーをはずし、キックステップ、スキーの板をピッケルのごとく突き刺して越える。なだらかな下りを経て急斜面。30度くらい?の斜面を横滑りでずりおちる。横滑りとキックターンを繰り返し、やっと緊張から開放されると思うと、エキャンディのコル。ここは板をかついで乗っ越す。再び急斜面というか、大氷河を斜滑降で下る。疲れの出はじめた私は遅れる。氷河を延々と下りシャンペという村へ出る。この日の予定はシャンペ村からベルビエ村まで移動し、ゴンドラで上がりモンフォーの小屋へ 行く予定が、ゴンドラの最終時間に間に合わず、ベルビエ泊りとなる。疲れすぎた私は眠れなかった。

4月26日 曇りのち雪

ベルビエからゴンドラに乗り、モンフォー小屋を通過しショーのコルへと向かう。この頃より雪(雹)が激しく降る。昨日の疲れと、眠れなかったことがたたって、登りでばてる。必死の思いでショーのコルに着く。視界は悪く、かなりの積雪。栂池の二の舞は踏むまいと思っていたのに、また過呼吸をおこす。ガイドの判断でモンフォーの小屋へ引き返す。メンバーのみんなに悪いことをしてしまった。寝る前に飲んだヴァンショー(ヴァンニワイン、ショーニホット)はおいしくてよく眠れた。

トイレその2

最初はなんと水洗だった。後でそこは使用禁止となり、外にあるたった一つのトタン張りのトイレになった。

4月27日 晴れ

完走をあきらめ下山も考えましたが(ここならゴンドラで下れる)メンバーの皆さんの励ましと協力で、前日の荒れようが嘘のような星空の下、ヘッドランプをつけて出発。ショーのコルまでヘッドランプの列が見える。落ち着いて黙々と登る。無事ショーのコルに着く。ここで完全に朝となった。モミンのコル付近でグランコンバン、グランデザートetc初めて展望がきく。ローザブランシュへの長い登りを経てピークに立つ(3336m)。つぼ足で少し下る。ザイル確保で斜面から広いルンゼ状になった所を下る。なにか冬山合宿の気分でした。ここでメンバーの中の伊藤さんという方と長谷川さんは冬山技術を買われてアシスタント(?)になる。(その後も何かあると伊藤さーん、長谷川さーんでした。私で岩峰の名を汚し、長谷川さんがその汚名を晴らしてくれました???)ここよりまた長い長い下りに入る。下りもいいかげん疲れた頃ディス湖に着く。ディス湖の横を下るでもなく登るでもなくトラバース。平行移動ゆえに、こがねばならず、下りで疲れた私はまた遅れる。ディス湖の源頭部でシールをつける。ゼリーとカルピスで復活し、ディス小屋目指して登行。これまた、だだっ広いというか広大な一つの谷をひたすら真っ直ぐに3時間半。長いこと長いこと。誰も口を開けなかった。あと3分の1あたりから惰性で歩き、前の山元さんと「夕食のメニューは何だろう」というし、後の長谷川さんは「ビール!ビール!」「ビールのにおいがする」といいガイドの中島さんに笑われる。前の山元さんのスキーのテールばかり見て歩き頭の中は真っ白。涸沢と同じで小屋が見えてからがまた遠い。みんなくたくたでディス小屋に着く。ここでショートルート(オートルートの後半のみのツアー)のメンバーと合流でき4月8日の顔合わせで仲良くなった方々と再会を喜ぶ。夕食までに飲むは飲むは、乾いた体に味噌汁、コーヒー、アルコールetc夕食は期待どうりで実だくさんのスープ、チキンのハムはさみ揚げ、トマトとレタスのサラダ(山で生野菜のサラダが出る)マカロニのトマトソース添えが大皿にたっぷりと出た。食べきれないくらい。もう一人のガイド神保さんの指揮で食器洗いを交代で手伝う。ヨーロッパの山小屋で皿洗いができるなんてそう簡単にできる経験ではありませんわよ。初日のアルジャンチュエールの小屋でも中島、神田両ガイドは手伝われました。他に手伝っている人はなかったように思います。この日の行動は12時間、大休止なし、シールをつける時か長い登りの途中に少しくらいのもの。

トイレその3

<だだっ広い小部屋にちょこんとあり、日本人には高かった。

4月28日 快晴

この日は半日の行動。ディス小屋より一度谷へ下り、シールを付け稜線へと向かう。オートルート中の最高到達点ピンダローラが目前にせまり、マッターホルンを初めて遠くに見る。急斜面をぐるっと巻いて登高し緩斜面の雪原に続くピンダローラへ。3796m富士山より少し高い。地形の関係もあり、強風のため、証拠写真(私は覆面写真になっていた)を撮って下り、風のない斜面でお昼。オートルート中、最初で最後のランチタイム。(他は休憩程度しかなく行動食をつめ込んでいた)快晴だし、景色はバッチリだし、日をさんさんと浴びてののんびりランチは最高でした。しかしこーゆー油断が日焼けのもと。ピンダローラからヴィニエット小屋まで一気に高度差640m下る。途中、いまにも頭上が崩れそうな所を横すべりのトラバース。急斜面でゴリゴリの氷状の上をエッジで削りながらのトラバース。途中で止まると下から「そんな所で止まるなー!!」の声。「わかってるけど止まってしまったんだ」とぶつぶつ言いながら下る。下から見上げるとナルホド止まっていけない理由がわかった。一秒でも早く抜けないと危険だからであった。馬の背のやらしい尾根ずたいに行った所にヴィニエット小屋があった。PM1:00すぎ。石造りで小屋の外に回廊のついた立派な小屋だった。夕食までのんびり過ごす。外にはヘリポートがあり、小屋には人なつっこい大きな猫がいた。ヨーロッパの猫は元気に雪の上を歩いてます。あまり好まぬようですが、外へ出たがっていました。私に、ドアの前で出してくれとせがんでいました。この日の夕食は実だくさんのスープ、ベトナム風○×という八宝菜のようなメインデイッシュにイタリア米と人参の付け合わせ、ここが最後の小屋、明日は最終日。

トイレその4

噂に聞いた高度1000m断崖絶壁のトイレ、風の強い日は下から吹き上げてくるそうです。幸いこの日は風もなくちゃんと落下しました。

4月29日 快晴

AM3:30起床4:30分出発。満天の星の下ヘッドランプの列。空気も雪面も人も張りつめた感じ。今日は最終日。しかし行程は長い。3つのコルを越え、ツエルマットまで下らなければならない。時間内にツエルマットに着けるだろうか?(最後にゴンドラに乗る予定である)と緊張していたのは私だけだろうか?夜が明け、早朝という中のエベックのコル。モンブールのコルは非常に急斜面でアイゼンを使いジグザグ登高。ヴァルペルーのコルは日も登り、暑く長く苦しい登りであったが、コル直下より、マッターホルンの頭が見えはじめる。一歩一歩、あえぎながら登るにつれて日の出のごとく現れて、(これってなかなか感激ものです)コルに着き見渡すとマッターホルンとダンデラン、それらに連なる山々が雲一つない紺碧の空にそびえていたのでした。会旗を出して、証拠写真を撮ってもらい、ツエルマットへ向けて最後の滑り。ややゲレンデ状で比較的滑りやすかった。下るにつれマッターホルンに近づく。ある程度の距離を自由に滑ってはまとまり、マッターホルンの直下を通過し、どんどん下る。突如、オートルートの終わりを告げるように、シュタッフェアルプというゲレンデのはしのレストランに出た。いよいよ山から出てしまう。ツムットの村が見え、できすぎのように、アルペンホルンの音が聞こえる。いかにもスイスの村といった景色が広がる。舗装された道に出てゴール。板をはずして歩く。フーリというゴンドラの中間地点より乗りツエルマットへ降りる。おりたところは観光地で華やいでいた。クライネマッターホルンという名のレストランのテラス(もちろんマッターホルンはばっちり)でまずは乾杯。PM3:00。チロリアンムードたっぷりの建物の中を板をかついでホテルまで歩く。私たちの泊まるホテルは(日本でいうなら、少し大きいペンションかな?)外は普通の、どちらかといえばアルプス風でないコンクリート造りだったが中は天井が高く、室内装飾も華美ではないが、かわいらしくきれいだった。翌日は隣のホテルへ移ったが同じく快適で、どちらも滞在向けのホテルのようだ。テラスからはマッターホルンが見える。電気自動車と馬車しか走らないこの町はやはり静かだった。夕食に出る。近くのレストランでフォンデュシノワ。(中華風フォンデュ)きくらげのスープに肉を通して、一人一人に大皿で盛られた8種類のソースで食べる。トマトの味、チャツネの味、ガーリックバター、マヨネーズetc色とりどりの野菜と豆サラダ(こちらでは金時豆や斗六豆をゆでてサラダに入れて食べることが結構あるそうです)、フレンチポテトとカレーピラフ(もちろんイタリア米、でもカレーの風味でくせのあるくさみが消えておいしかった)と出る。ずっと書きませんでしたがアルコールぬきの夜はありませんでした。ある人はビールを山と買い込んでオートルートの山中で商売までしてました。この夜はワインとビール、最後にフォンデユのスープをシェリー酒で味付けしていただきました。いかにもスイス風で洒落たレストランでの打ち上げは最高でした。写真がないのが残念です。

4月30日 快晴

みんなの希望でツエルマット滞在。メンバーの中の精鋭4人組は本当のオートルートの最終地点のザースフェーへ向って出発。私はクライネ(小さいの意)マッターホルンへ、ゲレンデスキーをしに行く。ツエルマットのウィンケルマッテン(レストラン、クライネマッターホルンのあるところ)から昨日と同じゴンドラでフーリへ。125人乗りのロープウエイでトロッケナーシュテックへ。100人乗りのロープウェイで3820mのクライネマッターホルンへ着く。展望台へ登り、360度の大パノラマを楽しむ。1本滑ってトロッケナーシュテックでランチ。セルフサービスで、トレイを持って好きなものを取って最後にレジ。何でもある。2939mの設備とは思えない。トイレがまたすごい。手を洗うのは日本の高速道路の温風の手の乾燥機を思い浮かべて下さい。・手を入れるとシャワーの水が出る、・次に液体石鹸が一滴落ちる、・少しするとたっぷりのシャワーの水、・温風が出る。これぞ正しい全自動!感激!!でも考えてみるとヨーロッパの人ってそんなにめんどくさがりやなのかな?停電でロープウェイやロープ塔が止まる、みんな平気。日本なら文句ブーブーだろうなと思う。ヨーロッパの人に従い日光欲をする。すると横で、パラスキーとやら、パラパントにスキーをはいて離陸するではありませんか。この場合スキーは斜面につき差して、パントを背負ってOKサインが出たらパン!パン!とスキーをはいてテイクオフ。ひぇーっとのぞき込んでカラフルなパントが見えなくなるまで谷をのぞいていたら停電もなおり、また滑り出す。ゲレンデを3本滑っただけなのに、もう夕方でツエルマットへ戻る時間。そうなんです、3本といっても距離にして20km近く滑ったそうです。憧れ続けたツエルマットの町をスキー板をかついで歩く。私は何度もここへ来れて良かったと思いました。少し回り道などしてホテルへ戻り、少し買い物に出て、夕食時間にホテルへ戻る。真っ赤に日焼けしたザースフェー組が帰ってくる。みんなで夕食が食べられました。

5月1日 快晴

シャモニへ移動のため、午前中のみ自由行動。長谷川さんと2人ゴンドラを乗り継ぎ、クライネマッターホルンの右方シュバルツゼー(黒い湖)へ行き、マッターホルンを見ながらレストランのテラスでしばらくボーッとして滑っておりる。昼休みで店が閉まる前に急いでアーミナイフを買いに回る。私は、自分がスイスへ行った時に買うと決めていました。(なのに呑気にしていて、危うく買えないところでした)長谷川さんにスキー板を2本かついでもらって、町中をうろうろしてもらい、後でメンバーの人にしっかりチェックされてしまいました。午後、列車でツエルマットからタッシュまで行き、お迎えのシャモニーバスでハイウエーを走る。いかにもヨーロッパのハイウエーという風景。映画やテレビで見た風景。私は眠っていましたが、シヨン城、詩人バイロンの「シヨンの囚人」で有名な古城が見えたそうです。スイスからフランスへ入る。シャモニへの峠はまたすごい。急斜面で、そこにぶどう畑がある。急斜面である為、1m幅くらいの段々畑に、棚ではなく衝立状に実をならすらしく手が施されていた。峠越えをし、田舎の村々を抜け、シャモニへ。1週間前の雪のシャモニと違い、もう春爛漫でした。この夜は本場のフランス料理。例によって野菜はカラフルであり、ここでのポイントは、メインの付け合わせにポテトニョッキ(ポテトサラダを揚げたようなもの)とズッキーニにトマトをはさんでオーブンで焼いたものが面白かったのと、デザートのアップルタルトに添えられていたホイップクリームがとても軽い口当たりなのにミルクの風味が強く、生クリームがこんなにおいしいものだったとは知りませんでした。ワインはこの地方のサボアの白でフルーティでおいしかったです。

5月2日 快晴

ガイドの中島さんは乗り気ではなかったけれどみんなの強い希望に負けて、エギーユ・ド・ミデイへ。プランドエギーユ(2282m)で乗り換え、途中1本の柱もないロープウエイでいきなり3842mのエギーユ・ド・ミディへ。渡り廊下を通って外へ出る。春のシャモニからロープウエイに乗って外へ出たら3842mの冬山。左側は切れており滑落すると2000m。右はたるーい斜面という馬の背を100mくらい下り、板をはく。スリル満点でした。バレーブランシュに滑り込み、タキール針峰群(1200mくらいの壁、50ピッチ弱だそうです)を眺め上げ、取り付き手前の点の2人をみて改めて壁の大きさに目を見はる。2、3のクレバスをよけてタキール氷河を滑る。山に囲まれた氷河をどんどん下る。メールドグラス氷河に入る。クレバスがパクパク口を開けている。ガイドの後を忠実についていく。小さなクレバスでも40m以上下まであるそうで「落ちたらザイルが届かないよ!」と言われ、ガイドのトレースから外れないようにひたすら後を追いすばやく抜ける。振り返ると、氷河の末端、モレーンって言うんでしたっけ?雪(氷)のブロックがそびえていました。次はだだっ広い氷河の上をレールのごとく付いたスキーの跡の上にのってどんどん滑る。下部になるとクラッシュアイスの固まりとなりボコボコの氷の上(まるでスケートのような)や狭いアップダウンやカーブを余儀なくされ、道から落ちないための微妙なテクニックを要しました。さすがにスキーをはいて9日目となると、下手っぴの私も初日よりはスキーを思いどうりに操れるようになってました(すこしですが)。所々、表面に雪やクラッシュアイスが無く青い氷がのぞいてました。その青さは蒼氷とはまたちがって、とても美しく神秘的でした。とうとう滑れなくなり、スキーをはずして担ぐ。ここからシャモニの村まで約1時間、春のトレッキングを楽しみました。道の脇にはふきのとうがニョキニョキ出ており、おいしそーと思う反面、何となくふきのとうもフランス風だなと思いました。下るにつれて“ふきのとう”は“ふきの花”となりちょっと無気味でした。ふもとの村近くにヤギの牧場があり、写真をとってもらうべく近づいた私は注意書きを見ず、ネットに触れ感電してしまった。ホテルに戻りぱーっと着替えて、お昼を食べに出る。こっちへ来て初めてピザを食べる。(フランスにもピザ、スパゲッティの店は多い)色々な種類がある。本物のピザはこんなものかと感心して食べる。長谷川さんはビールをおいしそうに飲んでいた。私はピザに合う物がないのでカフェを飲んだら、以外とピザと合うものであった。他の店は昼休みで閉店なので、帰りのパッキングをし、店のあく昼下がりから最後の買い物に回って、夕食は日本料理店「さつき」で打ち上げ。メニューは「スキ焼き」材料は日本とほぼ同じであったが、素材の味がなんとなく違っていた。それよりもおもしろかったのが漬物。きゅうりと白菜と人参の糠漬け。きゅうりと思ったそれは何とズッキーニだった。いかにもフランス。ここの「さつき」のご主人も山岳ガイドであった。(今回のショートコースのガイド)

この夜は最後ということで、気の合った若者7人が集まり、よくもまぁーこんなに色々な種類のものを集めたなと思うビール、ウイスキー。行きのモスクワの免税店で長谷川さんが買ったウォッカと差し入れにもらった最後の“柿の種”を出し(うけていました)2次会。

5月3日 快晴

7:30ホテル発。ベンツのシャモニバスで村から町、山から民家そしてビルへと移り変わる車窓を眺めながらチューリッヒへ。チューリッヒからジュネーブへと移動。ここから退屈な17時間。アンカレッジで1回おろされる。マッキンレー山はあいにく天候が悪く見えなかった。日付変更線をこえ5月4日となる。14:00すぎ成田着、15:00すぎ解散。大阪への便がなく、19:00の便になる。この便が国際線だったため、再び出国手続きや、免税品の申請、承認証をもらったり、大阪では税関を通らなければならなかったり、思わぬ所で時間がかかり、京都へもどる空港バスは最終の21:30になりました。

いやーずいぶん長くなってしまいました。これでも削ったつもりですが、何せ日が長かったもんで。私にとって初めての海外旅行で、それが本番のヨーロッパで自信のない山スキーで…。オートルート中は余裕がなく、ついて行くのが精一杯でした。過呼吸も起こして迷惑をかけてしまったし。体調が思わしくなく、下山しようかと思ったとき、ある人が「ここまで来たんだから一緒に行きましょう。荷物くらい持ちますよ」と言ってくださった時は本当にうれしく思いました。たったの数日一緒にいた人がそんな風に言ってくださるとは。たまたま薬剤師さんや保健婦さんがおられ、色々とお世話になりました。山という特殊な環境の中での人のつながりというものに改めて感激しました。

やっぱりヨーロッパは素敵なところでした。もし、もう一度オートルートへ行けたらもう少し余裕ができて、もっといい顔の写真が撮れるだろうし、ツエルマットももっとゆっくりしてみたいし、グリンデルワルト、インターラーケンも行ってみたいし、ヨーロッパは何度も行く所でしょうか?

私の今の技術でヨーロッパへ、しかも山スキーになんて10年早いどころではありません。でも無事完走させていただいて帰った今、今だから行けたんだなあーって思います。誘っていただいて、何度か特訓していただいた、そしてもちろんヨーロッパで何から何まで面倒を見ていただいた長谷川さんにお礼と行かせてくれた親に改めて感謝しました。