記:川奈部 陽子

8月13日(金)~15日(日)
メンバー:仕立、川奈部(富永、中村と合流)

■真夏の『早朝芹谷』でぼや~っとしている時に、突然決まった今回の北尾根。シブく単独行を予定していた富永さんを生ビールとトムヤムクンでたぶらかし、涸沢で宴会だ~!と盛り上がって話はまとまった。

前日に突然KCCの中村くんが同行することになり、「私の壮大な単独行はどうなるんや~!」と訴えながら富永&中村組が1日早く急行きたぐにで新穂高温泉へ向かった後、仕立&どてこ組は12日の晩に車で出発し、3:30頃沢渡に到着した。中年の夫婦の観光客に声をかけて、4人でタクシーを相乗りし、7:00頃には上高地へ。

■13日(金)、天気は曇りだったが、涸沢への登りは涼しくてちょうどよく、12:30頃涸沢へ到着。既に色とりどりのテントの花が咲いていた。重いザックを担ぐのは久しぶりで、二人とも涸沢に到着した時は、「はあ、疲れた。」

ところが、大変なことに去年の7月にどてちん達と行った時と違い、雪渓がテント場の周囲にはまったくない。はるか上の方にしか残っていないのである。「れっ、冷蔵庫がない~っ!」

明日の宴会用の食材達をどうしようかと思ったが、テント場と涸沢ヒュッテの通路の途中に冷たい湧き水が流れ出ているのを発見し、そこに置くことにした。担いできた缶ビールやワインもそこで冷やし、明日登る前穂北尾根の様子を見に、涸沢小屋のテラスまで行くことにする。

出発前に「7月下旬に前穂北尾根に行ったら、地震の影響か、落石の危険個所も増えていて、4級くらいのピッチも数ピッチあり、3峰のチムニーも見あたらず、かなり様子が変わっていた」という情報がメールで流れていたので、少し心配していたのである。

しかし涸沢で、山岳警備隊の詰所でその情報の真偽を確認している人がいたが、「いやー別に変わったということは聞いてないですがねー。その人、間違ってどっか違うところを登ったんじゃないですかあ?」ということだった。

涸沢小屋のソフトクリームを食べながら北尾根の偵察をしたが、私にはどれが5、6のコルで4峰、3峰、2峰という程度のことしかわからなかった。
ついでに去年尾上ちゃんに教えてもらった6峰の「たぬき岩」を仕立くんにも教えてあげた。もう、どう見てもたぬきにしか見えない、立派なお腹である。

涸沢小屋からテントに戻り、さっき冷やしたビールを取りに行くと、キンキンに冷えていてビックリ!仕立くんが持ってきたハムステーキを焼いて食べながら、ぐびぐびーっと飲みました。シアワセ。
これだけくつろいでも時間はまだ3:00過ぎ。しかし1時間ほどすると、雨が降ってきた。槍ヶ岳に向かったはずのとみ&中村組はもう着いただろうか。

■14日(土)、朝寝坊して5:00に起きると、空は真っ白で山の上部は全然見えない。でも雨は降っていなかったので、予定通り北尾根へ向かった。

例の情報の影響で人は少ないかもしれないと思っていたが、私たちより先にも後にも北尾根を目指すパーティは結構いた。5,6のコルへの急登はきついが、花があちこちに咲いていてとてもきれいだった。

しかし、出発して1時間もしないうちにまた雨がポツポツ降りだし、4峰に着く頃には風も出てきた。仕立くんはロープが必要なのは3峰だけで、その他は多分要らないですよと言っていたが、4峰では7、8人の団体がロープを出して登っており、まだ下に4人くらいいる。天候が気がかりで先を急ぎたいが、時間がかかりそうなので、ロープが下がっている横を先に登ることにした。

岩が雨でぬれているので慎重に登るが、スタンスもホールドもガバガバあるし、仕立くんの言うとおりロープなしでも恐いところは特になかった。しかし浮き石が多く、登るのは簡単でも落石をおこさないように登るのにものすごく神経を使う。以前はもっと安定していたそうだが、やはり地震のために特に4峰はもろくなっているようだ。実際、私達の横では、登るのに必死で足下から石を落としてしまい、下にいる仲間から「おい、石落とすなよ、たのむよ!」と叫ばれている人もいて、とにかく落石が恐い状態だった。

さて、いよいよ核心の3峰に来た頃にはさらに雨風が強まり、ハーネスやシューズの準備も、ツェルトにくるまりながらしなければならないくらいだった。
3峰では2人組の一人がリードで登っているところで、次は私達だったので、すぐ取り付くことができた。
メールの情報で「なかった」という3峰のチムニーはちゃんとあった。初めて来た私が見ても、すぐ「これだ」とわかるくらいなのだから、メールを流した人は、やっぱりどこかを間違えて登ったのだろうか?

先行パーティの横から登って3ピッチで抜けた。仕立くんの記憶では、確かに浮き石が以前より多く落石の危険が増している他は、これといって変わったところはないようである。が、私にはちょっとドキドキする箇所もあった。

まず、2ピッチ目の途中に2メートル程の高さの、のっぺりして雨で濡れてつるつるの岩が出てきた。手足をかけるところが全然見あたらない。リードで登った仕立くんに、下から「こ、ここを登るん?」と聞くと、「僕は横に残置されたロープつかんで登りました、あはは!」ということだったので、まだ新しいその残置ロープをがっしとつかんでよじ登り、抜けることができた。
「これで何級くらい?」と聞くと、「うーん、晴れていて岩が乾いていれば、4級ですかねえ。」ということである。

そして3ピッチ目には、今度は最後にハングが出てくるのである。なんで、3級くらいのピッチにこんなのが出て来るのだ?ハングを乗っ越しながら思わず笑ってしまった。ちょっと腕がパンプした。フリークライミングをかじっていて良かったとつくづく思った。

上に着いてから思わず仕立くんに「あんなんあり?」と聞くと、「支点があったから間違いじゃないと思うんですけど、普通はもうちょっと左を登って、今のはバリエーションなのかもしれませんねえ。」ということであった。

しかし私にとって一番こわかったのは、この後2峰のてっぺんからクライムダウンするところである。もちろん確保してもらっていたのだが、浮き石が多く、足も手も崩れないかとドキドキ、ヒヤヒヤしながら下りていった。そして私の太ももくらいある大きな岩のでっぱりを左手で持った時、ガバッとそれが取れて、なんと私の左ももの上にドスンと乗ってしまったのである!
「うわーっ!これ、どうしよう!」とビックリしている私に、仕立くんは「わははっ!陽子さん、それ、下に落としてしまい、下に誰もおらへんねんから、かまへん、かまへん、全部落としてまえ!あははっ!」と、楽しそうに言う。
仕方がないのでひざをずらして「えいっ!」と落とすと、今度はそれが左足の甲にごんっとぶつかって、「痛―っ!」という私の叫び声とともにすごい音をたてて落ちていった。仕立くんは大笑いしている。

そのままクライムダウンして待っていると、仕立くんは同じ所をロープなしでさっさと下りてきた。、さすがである。

そしてやっと前穂の頂上に着いた。でも寒いし、びしょぬれだし、これから奥穂まで縦走しなきゃ帰れないし、記念写真を撮るとすぐツェルトにくるまってシューズを履き替え、吊り尾根へと向かった。
こんな天気にもかかわらず、吊り尾根から前穂まで往復している人が結構いたが、みんなびしょびしょで、ヨレヨレに見える。早く帰りたい私達は、そんな人達を仕立くんの「ごぼう抜きテク」でダーッと抜かしながら先を急いだ。
周囲はまるで水墨画の世界で、目の前にうっすら浮かびあがる不気味で巨大な山影に「あれが奥穂か?」と何度もだまされながら、13:30頃ようやく穂高岳山荘に着いた。あったかいミルクティーを飲み一息ついた。
こんな天気では、とみ&中村組は北穂から涸沢へ下りずに、槍から横尾に下りているかもしれないので、仕立くんが携帯電話でとみちゃんと交信を試みることにする。涸沢では谷のせいか圏外でつながらなかったが、山荘ではばっちりアンテナが3本立っている。
期待して、とみちゃんの番号を押した途端、「ピーーーーーーーーッ!」
電池切れ?あまりのタイミングの悪さである。仕方なく涸沢で二人を探してみることにし、14:30頃穂高岳山荘を出た。16:00頃テント場に到着。

テント場の受付には二人の名前はなく、残念ながら涸沢集合の宴会はできなかった。しかし今日の感謝の気持ちを込めて、『どて風トムヤムチキン』を作り、仕立くんにたっぷり3人分食べてもらう。
ますます強まる雨音を聞きながら、外に出る気もしない長い夕方、トムヤムスープを作るのはちょうどよかった。コトコト煮込んでいる間にカッパも乾いてきたし、美味しいトムヤムチキンができた。持ってきたワインを飲んで身体も暖まり、なかなかほっこりした夜だった。

何よりも北尾根にも登ったし、仕立くんに「晴れるにこしたことないけど、こんな天候で北尾根登って、自信になったでしょう」と言われ、ほんとうにそうだなあ、と思う。仕立くんがルートファインディングし、リードで登り、私はその後を登るだけだったのだが、それでも悪天候の中でも去年の夏の縦走より自分なりに余裕があったし、ぐんぐん登ってぐんぐん歩けた気がする。

■14日(日)、夜中じゅう降っていた雨は明け方やんで、3:00に起きたときにはきれいな星空が見えた。最後は晴れるのかと期待したが、夜明けとともにやはりガスってくる。食パンとコーンスープとトムヤム用の残りのトマトと、カマンベールチーズという、意外におしゃれ?な朝食を済ませ、雨が降りださないうちにテントを撤収してさっさと涸沢を後にした。

横尾に7:00過ぎに到着すると、橋の手前で短パンに帽子を被ったでっかい子供がこっちにやってきた。中村くんである。やあやあ、と再会の握手をして一緒に橋を渡ると、とみちゃんが向こうから手を振りながら走ってきた。
あー、よかった。涸沢で宴会ができなかったのは残念だけど、それぞれがあの天候の中を一生懸命歩いた後にやっと会えて、何だかとてもうれしかった。
二人は天気が悪いので、槍ヶ岳に登って昨日のうちに横尾に下りてきたらしい。とみちゃんは、冬山に行ってもなったことがないほどの「高校の部活以来の、近年まれにみる筋肉痛」でロボットみたいに動いていた。

今回のように違う目的で山に入り、最後に合流するというのも、お互いの話が聞けたりして、なかなか楽しいものだと思った。
全員そろって元気が出たところで上高地へ向かって出発すると、徳沢からまた雨が降り始め、だんだん強くなってきた。最後の最後までびしょぬれだった。

タクシーで沢渡へ帰るとき、運転手さんから乗鞍高原方面から林道を通って19号線へ抜ける道を教えてもらった。高速は中津川から乗ればいいので交通費が安くなるし、混んでる時期は松本まで出るより早いということである。
そこで途中にある白骨温泉へ寄って汗を流した後、GWに井内幹子さんと奥穂の帰りに開拓した乗鞍高原の定食屋で、昼食を食べて帰ることにした。
とんかつ定食と鳥唐揚げ定食が来るまではにぎやかに話をしていたのに、食べ始めた途端、全員無言でバクバク食べている。あまりに静かで気持ち悪いくらいである。かなりのボリュームだったが、もちろん全員ぺろりと平らげた。

今回、出発前の天気予報では「熱帯低気圧」なんてどこにもなかった。それが日本の真ん中に停滞して大雨になるなんて予想もしていなかったのである。
しかし、晴れていれば気持ちよく楽しい山行だったに違いないが、私にとっては、多分、単に晴れていて楽しいだけの山行以上に色々な意味で充実した思い出深い山行となった気がする。

仕立リーダーをはじめ、とみちゃん、中村くんに感謝、感謝である。