日程:4月26日夜~4月28日(29日予備日)

    メンバー:家山L、宮川、根来、寺澤(昌)、山川(記) 

 1月、白馬主稜の計画を耳にした。八ヶ岳の帰りだっだと思う。家で詳しく調べてみて憧れは募った。けれど雪山経験も浅く、まして登攀経験のない今の自分にはとても手の届かない領域だと思った。それでも八ヶ岳の合宿で、はじめて登攀組と行動を伴にする機会を得て、自分のなかでなにかが変わったのを感じた。氷の壁を攀じる先輩の姿と遠く赤岳主稜の岩稜にみえたパーティーのようすは心に焼き付いて、具体的に自分で1歩1歩すすもうとするとき必ず道しるべのように、鮮やかに眼裏によみがえってくる。赤岳主稜と白馬主稜にも必ず行こうと思った。

 3月31日、思いがけず、GWの白馬主稜へ行けることになった。その日は、嬉しさと不安で眠れなかった。今の自分には何もかも不足している。残り一ヶ月でどこまでできるだろう。八ヶ岳以降、自分なりに勉強やロープワークの練習などは始めていたけれど、今からするとどうも焦点がぼやけて具体的でなかったと思う。土日はクラックスや岩場の合間を縫って金毘羅やボッカへいった。先輩方におおくのことを学んだ。一番大きかったのは山へ向かうその姿勢と意識の違いを知ったことだった。たびたびへこんだり途方にくれたりしながらも、あっという間に一ヶ月はたちバタバタとGWをむかえた。

 いよいよ出発という金曜日の晩、家山さんがかぜで行けなくなった。装備を持って見送りに来てくれた家山さんの顔から一瞬だけ無念さが表情ににじんで、数年越しの白馬主稜への思いが伝わってきた。 見送られて出発。GWの高速は思ったほどは混んでおらず、なかなか順調に二股着。

 わずかに仮眠をとって、朝6:15二股発。

 発電所から延々と続くコンクリの道を歩く。プラブーツを引きずるようにしてようやく猿倉着。雪の道に変わってほっとしたのも束の間、妙にすべる雪に足をとられないよう今度は神経を使う。うっすらと雲に覆われて、辺りの山容はよくわからない。もくもくと1時間歩いたところで休憩をとる。するとタイミング良くさらさらと雲が引いていって、目の前に大雪渓があらわれた。なおも雲はさらさらと流れ、とうとう白馬の全景がひろがった。左に杓子岳、右にこれから登る白馬主稜がすっきりと蒼穹に立ち上がっている。まぶしさに目を細める。

 地図を広げたが、広々とした雪の斜面がどこまでも続いていて現在地を割り出すのが難しい。宮川さんが地形を丹念に観察して現在地を割り出した。少ない手がかりを正確に追うことでかなり現在地を絞り込めることを知った。

 そこは、ちょうど主稜への取り付きへ右に転進する地点だった。運良く晴れなければ、取り付きをみつけるのに相当苦労したと思う。

 それにしても、八峰までの急登はきつそうだなぁとじっと眺めていると、小さな黒い点がわずかに動いた。さらに目を凝らして見つめているとやはり人だった。しばらく眺めていたが遅々としてちっとも進まない。最初は遠いせいかと思ったが、左の大雪渓をゆく人影は、まだゆらゆらとわずかな移動の線が視覚に映るのに、八峰を行く人影はよほど長くみつめていないと静止しているように見える。本当にきつそうだなぁと思う。眠さの余り麻痺していた感覚がだんだん蘇ってきて緊張する。

 だいぶ休憩したあと、アイゼン・サングラスを装着してピッケルを握って出発。ゆるやかな起伏の大雪渓を横切って、八峰への急登にとりつく。傾斜はきついが、階段状に足場がしっかり固まっている。すぐに荒い息と一緒にぶわっと大粒の汗が噴きこぼれてきた。だんだん時間の感覚がなくなってくる。前を行く寺澤君はまったく息のきれる様子もなく歩調をあわせてくれている。ああ体力をつけなきゃ、と思う。他のメンバーのリズムまで狂わしてしまう。

 無心に足を上げていると、唐突にすぅっと目の前が陰った。低木の茂る島がぽっかりと雪の中に浮かんでいる。雪と黒土の間の溝を飛び越えて藪こぎをする。ザックや手足に枝が絡まってちっとも前に進めない。後ろから宮川さんと根来さんが、落ち着いてようく周りをみるように、と声をかけてくれる。わずか数メートルの藪こぎにひとり難儀し、やっとのことで雪の斜面に抜けた。そうして再び白い登りがはじまる。足がつりそうになるのをごまかしごまかし登るうちに、ようやく稜線に出た。やっと標高だけで言えば3分の2ほどをきたことになる。けれどこれからが本番だ。登ってきた斜面を上から見下ろして、もう引き返せないなぁと思う。

 岩混じりの急な斜面で順番待ちになった。ロープを出すパーティーと出さないパーティーがいた。私は落ちない自信がなかったので、ロープをだしてもらった。寺澤君リードで根来さんが続き、私は宮川さんのリードをビレイした。宮川さんがあっという間に岩のむこうに見えなくなると、雪の上を流れていくロープの音だけがさらさらと耳を打つ。静かな静かな時間だった。しばらくして合図があって、皆のあとを追う。雪が溶けかけていてもろく足場がくずれるので、そうっと足を運ぶ。上に抜けたところが八峰のかしらで、わずかに幅のある雪稜になっている。何張りかテントが張られていて、私達もここをテン場にした。右側が雪庇になっていて、慎重に何度も確認しながら、雪をならしテントを張った。寝床を確保した安心感から、ようやくホッと一息つく。今日1日が気持ち良く晴れてくれてよかったなぁと思う。

 落ち着くと、お茶をのんでくつろいだ。それから夕飯の準備にとりかかる。

 今回は食料を担当した。普通の縦走とは違うのだという強烈な意識から、第1に軽量化を考え…というより軽量化のことしか考えず、計画をたてた。ドライフーズ(にんじん,キャベツ、山くらげ、えび)と春雨とワンタンをチキンスープの素で味付するシンプルなスープにした。試作する暇はなかった、というのは言い訳で実質10分もかからないのだから、やはり試作すべきだった。

 見た目は別段これといってあやしいところもなく、ただしあまりに軽量化にのみ偏りすぎて食欲を刺激する献立でなかったのは確かで、みんな淡々とお箸を手に取った。一口食べて、次々に皆が妙な顔をする。出汁ばかりが濃くて塩味が足りないので、妙にすっきりしないスープだった。けれど食べられないほどではない、…と思ったのははじめのうちだけで、時間がたつほどまずさが際立ってくる。胸焼けがしそうな海老の味に加え、春雨が汁を吸って食べても食べても減るどころか増殖している気がする。段々居たたまれなくなってきた。みんなのお箸を持つ手がいかにも重く見え、さらに率直な意見の数々をきくにつけ、どうしようもなく落ち込みそうになった。

 けれども、酷評しながら吹き出しそうにしている寺澤君を見ていると、なんだかひどくおかしいことのような気がしてきた。皆がこれで明日お腹をこわしたり、パワーがでなかったりしたら、と思うとそんなのんきに笑えた立場でないのはよくわかっているのだけれど、その切実さがまたおかしみを添えるものらしく、ともかく泣きたいような笑いたいような忘れがたい(忘れたい)夕飯だった。

 最期まで相当無理をして食べきってくれた宮川さん、根来さん、寺澤君、ありがとうございます、申し訳ありませんでした。

 あまりの胃の重たさのせいか、4人とも口数も少なく早々と寝支度に入り19:30頃就寝。普段なら失敗に継ぐ失敗にくよくよしなかなか寝つかれないところだけれど、あまりに疲れていたのがさいわいしあっという間に寝入っていた。

 翌日は、4:00起床。5:30出発。晴れ(雲少々)。朝なので雪もしまっていて、キシキシッとアイゼンがよくきく。七峰、六峰、五峰…と、ロープを出したり出さなかったり。順番待ちや休憩を挟みながら、着々と高度を上げていく。雪稜歩きを楽しむ余裕もなく、ひたすら足元に集中する。真っ白な雪にストンとさしたピッケルと、交互に繰りだすプラブーツのつま先と、自分の額からこぼれる汗の記憶ばかり残っている。たまに、ビレイ地点で順番待ちをするときは、スッパリ切れ落ちた左右の斜面に目がいく。どちらに転んでも、左の大雪渓か右の沢へ数百メートルをいっきにすべっていくと思うと自然と気も引き締まる。他のメンバーは、ロープを出さなくとも問題ないようだったけれど、私が少しでも不安を感じるところは、必ずロープをだしてくれた。

 10時過ぎ、頂上直下着。あとは傾斜のきつい雪壁を2ピッチで頂上に抜ける。

 3、4パーティーが一服しながら順番を待っている。みんな実にゆったりと待ち時間を過ごしている。柔らかい陽射しとどこまでも広がる雪と岩と空と雲…。本当に山はいいなぁと思う。山に登れて幸せだなぁ。けれど、最期の核心の雪壁を前にした緊張や、あまりになにもかも不足している自分に対するもどかしさや、なぜともなくはやる気持ちなどがあって、頭の中はごちゃごちゃだった。

 ようやく順番がやってきた。根来さんと寺澤君がまず行き、宮川さんと私が続いた。混み合っていて、数パーティーが平行して登った。傾斜がきついため慎重にひとあしひとあし確かめながら登っていると、後ろから続いて登ってきた他のパーティーの方が、いろいろアドバイスしてくれた。振り向く余裕がないので、必死でうなずきながら、気づくと頂上に抜けていた。沢山の人がくつろいでいた。

 今回は何もかもそろっていたから順調にここまできたけれど、トレースがなかったり、天候が悪かったり、雪の状態があと少しでも悪かったら、私はここまで来れなかったと思う。帰ったらすることが山ほどあるなぁと思うと一刻もはやく下山したくなって気持ちがせいた。

 大雪渓は滑落停止の練習をしながらすべり下りた。

 すべってはとめ、すべってはとめ、…。繰り返すうちようやくピッケルが少しは雪にくいこむようになってきた、と思う頃、今までより傾斜の増したつるつるの雪面に入り、姿勢を返した途端すごい勢いですべりだした。ピッケルは何度打ちこんでもはじかれるようにして、とまらない。どんどんスピードが増してきて必死になってピッケルを持ち直したとき唐突にとまっていた。雪まみれになって起き上がると、ずっと下にいた宮川さんと寺澤君が駆けつけて止めてくれたことを知った。
ありがたさと恥ずかしさで頭をあげれなかった。


 それから、強い照り返しにぼうっとなりながらひたすら下り、再びあのコンクリートの道をプラブーツを引きずりつつ歩いて歩いて歩いて二股帰着。

 いろいろ反省点ばかり思い出すけれど、白馬主稜にいけて本当に良かったと思う。

 今回の山行への参加を認めてくれて練習などでも様々に教えてくれた家山さん、体調がおもわしくない中パーティーをまとめて、登攀中はザイルを組んでくれた宮川さん、隣でいろいろアドバイスしてくれた根来さん、終始気配りをしてくれた寺澤君、そして許可をくれた鮓本さん、トレーニングにつきあってくれた皆と、厳しく暖かく見守ってくれる先輩方に、心からお礼をいいたいです。