記 大住宏明


 利尻岳、それは日本最北端にある日本百名山のひとつと言うだけではなく、標高0mから登れる魅力ある数少ない山島である。この利尻岳を目標として、そのアプローチにMTBを用いた山行を単独で行った。途中、斜里岳登山や温泉めぐりも行い、アプローチの時間の方が長い山行となった。以下詳細を報告する。

●5,6/Aug/’94 京都~釧路

20:57、JR京都駅より寝台特急『日本海』に乗り込む。愛車のMTBは手荷物扱いにするため分解し、輪行袋に収納してある。愛車は新規購入したPanasonic、Mountain Cat。Mountain Catは一つだけ良い点がある。何が良いかって?。それは社員割引で買える点である。  北海道へはトワイライトエキスプレスで上陸したかったが、乗車券は手にいれられず寝台特急『日本海』となった。往路はまだ何とか手に入れられたが、復路は見つけられず旅行社の手配頼みになっていた。  翌6日、青空を背景に白くきれいなアーチを描く橋が見える青森駅に着く。快速『海峡』に乗り継ぎ函館へ。長いプラットホームと跨線連絡橋をザックとMTBを担いで歩く。駅は今は無き青函連絡船と接続するため、終端形のプラットフォームとなっており、端に跨線連絡橋がある構造となっているからである。さらに特急『北斗』に乗り継ぎ南千歳へ、またさらに特急『おおぞら』に乗り継ぎ釧路へ着く。京都を出てから26時間、すでに23時を過ぎている。駅前でMTBを組み立てていると、駅の助役とパトロール中の警官に  「ここでテントを張らないように!」 と何度も念を押された。はじめからその気はなかったので、すなおに以前行ったことがある近くの鶴ヶ岱公園へ向かう。釧路はお祭りか何かあったみたいで人出がかなりあった。  星空がきれいで雨の心配もなかったため、テントを張るのもめんどくさくなり体育館の軒の下でシュラフを出して寝る。

●7/Aug/’94 釧路~霧多布~中標津  6:40発。旧釧路川沿いのルート391を進む。釧網線を越え貯木場を過ぎた辺りで湿原と別れを告げる。進路をルート44に変更し厚岸へ向かう。厚岸から厚岸湾を望みながら、海沿いのルート1020を進むが、海への展望がなくアップダウンが続く。途中海への展望が良くなった所があり、人が集まっていたので休憩をかねてMTBを降りるとそこは涙岬であった。海風が非常に強くすぐ退散する。出発しようとしたとき途中初老の夫婦から、  「どこから来たの」と尋ねられ会話をしていると、MTBとその夫婦の車での移動時間がほとんど変わらないので驚いておられた。やがて霧多布湿原が見え始める。豊富な水をたたえた湿原となだらかな緑の丘陵が続く風景は美しい。しかしその丘陵の端を舗装道路と電力線が横切るのは高度文明社会の代償といえるだろう。  市街地をぬけ、大きなアップの後霧多布岬が見え始める。名物の霧は残念ながら強風のためかかっていなかった。すぐ近くにある霧多布キャンプ場(@エ410)でキャンピングする予定であったが、早く着いたため中標津まで足を延ばすことにする。なぎさのドライブウェーをすすみ、浜中市街へ向かう。浜中と言えばムツゴローの動物王国であるが、アポがないと入れないとのことなのでパスする。JR浜中駅で昼食を取る。  昼頃から北海道にいることを感じさせない程の強烈な陽射しを浴び、露出している肌がかなり日焼けしている。アップダウンがひたすら続く一直線のルート1020を通り別海町へ。ここで日焼け止めクリームを購入し、肌に付けるが時すでに遅し。コンビニで氷をわけて貰い肌を冷やし痛みをやわらげる。  中標津にはキャンプ場が2つある。無料の中標津森林公園キャンプ場に泊まる予定であったが、見つけられず。うろうろしている内に中標津空港が見えてきた。完全に通り過ぎてしまっている。もどってもう一度探すか、開陽台キャンプ場(無料)まで行くかどうか考えていると、別のキャンプ場の看板が眼に入る。オートキャンプ場なのであまり気が進まなかったのだが、暑さとすでに170km行動しているのでめんどうになりここに決めた。17:30行動終了。オートキャンプ族(@エ500)は最近リニューアルしたばかりなので、ほとんど人がいない。コインランドリー、シャワーもあるきれいなキャンプ場である。心配していたオートキャンパーの発電機使用もなかった。ここの水は摩周湖の伏水流で、冷たくておいしい。しかしもっぱら赤く腫れた肌を冷やすのに使っていた。この夜は満天の星空。明日の晴天は確実である。

●8/Aug/’94 中標津~羅臼  8:30発。ルート272で標津へ。標津のコンビニで買い出しを行い駐車場を出ようとしたところ、そばに止めてあるモーターバイクのバックミラーがふと目にはいった。かなり日焼けしていたので腕だけではなく顔にも日焼け止めを塗ろうと思い、バックミラーを覗いていると、そこに女性ライダーが現れた。彼女は地元のライダーで、層雲峡のホテルで働いており休暇でツーリングをしてた。またキャンピングしようとしていた国設羅臼キャンプ場はすでに超満員である情報を得た。標津からはオホーツク海に面しているため、海からの風は結構冷たく火照った肌にはここちよい。ルート355を北上し羅臼へ。13時着。羅臼町内をうろうろしていると、『海獣を喰わす店』を見つける。海獣(トド)の肉質は鯨によく似ている。店の人から海獣を食べた証明書とシールをもらう。  今日の泊まりは羅臼にあるもう一つの羅臼町立キャンプ場(無料)である。キャンプ場は管理人がいなかったがトイレや水場はきれいである。高台にあるためやや傾斜があるが階段状になっており、幕営には特に問題ない。身軽になったMTBで露天温泉に向け走る。途中夕立の中を走り、1時間程でセセキ温泉に着く。この温泉は海岸にあり、満潮時には海中に沈む。湯はなかなか熱く、国後島にかかる虹を見ながらのんびりする。もちろん肩から上は湯にはつけられないが。次は相泊温泉である。ここも海岸にあるが小屋の中にあり、男女別になっている。両温泉とも無料であるが、着替える場所はない。  キャンプ場に戻る途中羅臼港に寄ると、釣人からアブラッコを2匹もらう。北海道ではアイナメの事をそう呼ぶらしい。隣のテントのファミリーキャンパーに大型のペグを借り、串刺しにして焼いて食べた。夜の羅臼港の眺めは、薄いベールに包まれたような霧に港のオレンジの照明光が散乱されとてもきれいであった。

●9/Aug/’94 羅臼~清岳荘(斜里岳)

6:40発。今日は最大の難関、知床峠(740m)越えである。去年5月に来たときは積雪のため、まだ開通していなかったのでその雪辱をはらす。天候は曇りがちであったが、結果的には良かったのかもしれない。強い日差しではかなりの体力を消耗していただろう。途中で1人チャリダーをテイクオーバーし、ノーレストで1時間45分後知床峠へ。すでに観光客でいっぱいであり店も出ている。下りは快適そのもの。15分で知床五湖への分岐へ。あっけないダウンヒルだった。名物のコケモモアイスクリームを食べるため途中知床五湖へによるが、道路拡張工事と急勾配のワイディングロードなため道路は混んでいた。湖は時間がないため5つの内2つを見ただけで引き返す。往路と同じルートで戻るが、日差しが強烈でまた体がガス欠気味だったのでかなりきつかった。  ウトロで昼食の時、食堂のおねーさんにウォーターボトルに水を入れてもくれるように頼むと、親切にも氷水を入れてくれた。そのおねーさんが天使のように見えた。強烈な陽射しの中ルート334を斜里に向かい20分程走った時、ウォーターボトルを手に取るとなんとすでに氷水がお湯になっていた。さっさと飲んでおけば良かったとおもいっきり後悔する。  やがて海別岳が見えはじめ、斜里に近づくにつれ斜里岳も大きく見えてくる。斜里市街地うろうろしていると斜里グリーン温泉(@エ380)の看板を見つけた。その温泉に、羅臼で出逢ったチャリダーと再会しいっしょに入る。  のんびりしていたのは、斜里岳登山口まで約17km、登山口から宿泊する清岳荘(素泊まり@エ500)までは8kmの林道と近いからである。しかし見積りは非常に甘かった。林道の傾斜は大した事はないが、林道に大きな砂利が厚く敷いてあるためMTBといえどもタイヤが埋まりうまく走れない。結局押して歩くはめになり、そのうち日没となりおまけに雨が降りだした。小屋着19時。途中で何回もタクシー等の車に抜かれたため、小屋ではMTBで来るバカがいるという情報がすでに流れていた。

●10/Aug/’94 清岳荘~斜里岳~女満別  6:25小屋発。一ノ沢の沢沿いの左右両岸間を行き来しながら、下二股へ。ここから旧道を進む。大きな滝が幾つ現れ、滝の飛沫の感触が心地よくちょっとした沢登り気分が味わえる。東に向かって沢を登っているため、沢の上部からの木漏れ日と反射光がまわりの緑を引き立てている。上二股では沢は枯れ、ダケカンバのトンネルをくぐると、展望が開ける馬の背に着く。ハイマツ帯のガレ場を登るとピーク(1547m)である。ノーレストで1時間45分の行程。東には海別岳、羅臼岳、北には区画された田畑、斜里市街とオホーツク海が、南には阿寒湖、雄阿寒岳と道東の名所がほぼ見渡せる。降りは上二股から新道に入る。稜線沿いなので展望がよいが、熊見峠からは沢に向かい急斜を降りていく。下二股で旧道と合流し、後は往路を降る。  MTBでの林道の降りは本来なら爽快な気分を味わえるのだが、砂利のおかげでバランスを取るだけで精一杯である。汗を流すために近くにある、きよさと温泉緑清荘(@エ280)に入る。遠くになりつつある斜里岳を望みながらルート269で女満別に向かうが、一直線であるがアップダウンの連続でペースが上がらない。時間的にも体力的にも無駄な消費となるので小清水よりオホーツク海沿いで網走経由となるルート244に逃げる。17時キャンプ場着。女満別湖畔キャンプ場(@エ300)は網走湖畔にあり、一面芝生の広いキャンプサイトで近くの女満別温泉(@エ300)に入浴できる。一風呂浴びた後、湖に沈みつつある夕日を眺めながら飲むビールはとてもうまい。

●11/Aug/’94 女満別~興部  7:30発。ルート38で網走まで戻り、オホーツク海沿いのルート238(オホーツク流氷ライン)を進む。網走を過ぎた時、『稚内320km』の標識が見え始める。後はひたすら北に向かうだけ。昨夜の天気予報の『南西の風強し』どおり猛烈な風。向かい風となる能取湖とサロマ湖の湖岸沿い道路の半周は、必死のペダリングを余儀なくされた。  途中の紋別市を少し過ぎた頃より猛烈な雷雨。稲妻がすぐそこの海に落ちているのが見える。しかし原生花園の近くなので、まわりは原野で避難する場所がない。地面に寝そべってやり過ごせばいいのだが、恐怖心からひたすらMTBを走らせる。しばらくするとプレハブのバス停を見つけ避難する。ここなら雷の直撃を受けても何とかなる。しかし予定しているキャンプ場に、日没までに到着できないかもしれない。雷が止み小降りになったのでまた走り出すと、途中でチャリダーに出逢いキャンピングできる公園があるという情報を得る。目的のキャンプ場より近い。とりあえず見てから決定する事にする。日没寸前には陽が射し、反対側には300度もの角度を持つ大きな虹がでている。  教えてもらった公園は興部川の河川敷にある、バーベキューサイトが整然と並んでいるきれいな興部公園だった。19時着。明日も雨模様なので東屋にテントを張る。気象通報では北海道北部全域に大雨洪水雷警報がでていた。明日も大気の状態が不安定で、引き続き大雨洪水警報がでている。

●12/Aug/’94 興部~浜頓別  6:30発。小雨が降っている。3時間ほど走った頃、また雷と大雨に遭遇し、同じくバス停に避難し雷をやり過ごす。枝幸で昼食を取った時、久しぶりにTVで気象衛星ひまわりの画像を見るが、良くなるどころか悪くなる一方である。台風まで近づいて来ている。  北半球の半分の位置を示す、北緯45度ラインを過ぎ、やがてクッチャロ湖畔キャンプ場(@エ200)のある浜頓別に14:30着。着くや否やまたまた大雨。キャンプ場全体が芝生になっているため、すでに水びたしの状態である。しかし、屋外ステージの屋根下の空いているスペースを運良く見つけ、そこにテントを張り今後の大雨に備える。16時頃雨も止み西の方から陽も射してくる。空を眺め冷えたビールを飲つつ明日の予定を考える。

●13/Aug/’94 浜頓別~利尻島  朝から雨が降っている。停滞するかどうか悩んでいるとやや小降りになる。ここから稚内まで92km。8:40出発する。オホーツク海に面した道路を進んでいるとやがてインディギルカ号遭難碑があらわれる。集落が表れ運良く売店を見つけ雨に濡れた体をホットミルクで温めていると、一人のチャリダーに追い抜かれた。後を追いかけたが、なかなか追いつけない。しかし海沿いの道から宗谷丘陵にはいる得意の山岳路となると一気に追い抜いた。道路標識の稚内までの距離表示がだんだん小さくなり、かわりに宗谷岬までの標識が増えてくる。連続した丘陵地帯を抜け海岸沿いをしばらく進むと宗谷岬である。人が多く、おまけに大きな音量で変な音楽を流しているため早々に退散する。このころより雨は止み、宗谷岬で出逢ったチャリダーと併走し稚内へ。久しぶりに人と挨拶以外の会話する。14:10稚内着。  利尻までのフェリーの時間があるので、ドーム防波堤でやっている祭をのぞく。出店で売っている海産物の値札を見てびっくり。日本の流通機構は如何に複雑かがわかる。稚内名物すりみ汁(ほっけのつみれ汁)は非常に美味だった。  稚内から利尻の鴛泊まで1時間半の船旅(@エ1850+720)である。手荷物料金でMTBもモーターバイクと同じ扱いとなり、車両甲板に乗せる。この便で利尻に渡ったチャリダーは私一人であった。洋上からはガスっているため、利尻岳は見えず。港近くで買い出しをした後、利尻北麗野営場(@エ150)へ。19時着。明日はいよいよ利尻岳登頂である。

●14/Aug/’94 鴛泊

4時に起床したが外は雨である。昨日の天気予報では、前線が停滞しているため一日中雨との事。雨は止みそうもないため、停滞とする。午後からまた大雨が降る。22時の気象通報では明日前線が一時的に北上し、予報では午前中晴れるとの事。明日の午前中が勝負である。

●15/Aug/’94 鴛泊~利尻岳~礼文島

4時出発。今の所雨は止んでいる。日本銘水百選のひとつである甘露泉を過ぎ、緩やかな樹林帯を登っていく。五合目付近で御来光を望み、ガスの切れ目から鴛泊付近が良く見える。この調子だとピークではすばらしい展望となるだろうと思いながら、トンネル状となった低木地帯をすすむ。六合目付近からつづら折れとなり、傾斜がきつくなる。だんだん晴れるどころかガスってきて、強風にあおられ始める。長官山を過ぎ2時間弱で避難小屋へ着く。小屋には5,6人シュラフに入っていたが、私が目覚まし時計の役をしたみたいである。休憩を兼ねて、レインスーツを装着。ここで傘と森林の限界地点となる。ハイマツ帯が現れ、ガレ場が出てくる。雨でゆるんだガレ場を慎重に進むと、沓形コースの分岐となりやがて祠のある北峰(1719m)に着く。ガスっていて展望はまったくない。ザックをデポし、南峰(1721m)へ。しばらく粘っていたが晴れる様子もない。ピークで見れたのはガスとザックに興味を持ったエゾオコジョであった。ここまでのアプローチの苦労が実らなかったことになる。がっかりして往路を戻る。復路で多くの登山者と逢うが、ほぼすべての人に、  「上は晴れてましたか」 と聞かれる。  「はい。すばらしい展望でした!」 と答えたかった。テントに戻ると青空が見え始めるが、利尻岳は中腹より上はガスっている。  テント撤収し、礼文島行きの午後の船(@エ720+570)に乗るため、鴛泊港へ行き乗船手続きをとる。乗船まで時間があったので港近くのペシ岬へ登ると、利尻岳のピークが見えるではないか。利尻岳の全容が見えるのも時間の問題だ。降りの時逢った連中はラッキーなやつらだ。

 船が利尻を離れるに従い、ガスも晴れ利尻岳の全容が見え始める。空には巻雲(すじ雲)もでていて前線は完全に通過しているではないか。もう少し粘っていれば360度の展望を味わうことができたのにと思う。リ・シリとはアイヌ語で『高い島』という意味である。まさにその通り、すばらしい島である。ガスってたけど。  50分で礼文の香深港へ。礼文島にはキャンプ場が2ヶ所あるが、香深港から離れている久種湖畔キャンプ場(無料)にする。もう一つの緑ヶ丘公園キャンプ場は近いが有料(@エ300)である。19時着。テントを撤収する時テントポールを折ってしまったため、幕営に苦労するが何とかなった。近くの船泊公衆浴場(@エ380)に入浴する。  明日はキャンプ場で知り合ったチャリダーら4人で、無人島の海馬島に漁船をチャーターし渡ることにする。

●16/Aug/’94 船泊~スコトン岬~船泊  ハシブトガラスの騒音で4時に目を覚ます。お茶を飲みながらハシブトガラスらを眺めていると、やつらは好き勝手なことをやっている。このキャンプ場は、『輝け!全日本キャンプ場騒音大賞』を受賞するだろう。  快晴であるが風が強く、海では波頭が白い。風が強く、漁船は出航出来ないとのこと。この後MTBでスコトン岬まで行き、最北端牛乳(@エ100)を飲む。牧草と潮の風味がするおいしい牛乳であった。スコトン岬より4時間散策コースを歩く。その後MTBを取りに出発点のスコトン岬まで戻らなければならないため、バスの時刻表を見ると3時間待ちである。仕方がないので歩き出し途中何度かヒッチハイクを試みるが、車は止まってもくれなかった。

●17/Aug/’94 船泊~礼文岳~船泊  またも、ハシブトガラスに起こされる。今日も晴れているが昨日より風が強い。そのため海馬島にはまた渡れない。今日は礼文岳に登る事にする。礼文岳に登るコースは内路と起登臼の二ヶ所有り、登山口の案内がある内路コースを登る。礼文島は島全体がなだらかであり、風が強いためか樹木が少ないが起登臼との分岐あたりは樹林帯になっている。55分でピーク(490m)へ。ピークには一等三角点がある。風が強く、またガスっている。つくづくツイていない。時々ガスの切れ目より島の北側が見渡せる。  この後香深井から香深への礼文林道をMTBで走る。キャンプ場に戻ると、なんとあるべきテントが見あたらない。近づいていくと、テントが崩壊しているのが見える。強風のため、またテントポールが折れたのが原因だった。強風対策として補強したフィックス用のペグ1本が残っていただけで、他のペグは吹き飛ばされていた。キャンピングは今日で終わりなので、明日の朝食分を残して食料を喰い尽くす。

●16,17/Aug/’94 船泊~稚内~京都

 またまた、ハシブトガラスの目覚まし時計に起こされた後、香深港発、稚内行きのフェリー(@エ2060+720)に乗り込む。稚内ではノシャップ岬に行き、最北端の温泉である稚内温泉(@エ320)に入る。その後ノシャップ岬に戻り樺太食堂でうに丼(@エ3000)を食べる。本場のうにの味に感激する。この店は至る所に全国のチャリダー、ライダーの寄せ書きが貼ってある。私も店の女将さんに頼まれた。この後市内をうろうろしていると、礼文のキャンプ場で一緒だったチャリダーと再会。安い鮮魚屋さんまで案内して貰い、家にほっけを送る。また稚内駅でMTBを分解しているとき、トホダーと知り合い一緒に夕食を食べる。もう後は帰るだけとなると、急に仕事の事が頭に浮かんでくる。  チャリダーとトホダーに見送られながら札幌行きの急行『利尻』に乗り込む。札幌からキハ281新型振り子特急『スーパー北斗』で函館へ。函館で途中下車して最後の北海道を楽しむ。快速海峡で青森へ。後は寝台急行『あおもり』で京都へ。20日無事京都に着く。

今回の山行でやはり北海道は大きいという事を再認識した。小手先の休暇では対応できない。また今度長期休暇のチャンスがあればMTBで走ってみたい。道内で応援していただいた1054+@人のチャリダー、ライダー、トホダーならびに地元の人々、ありがとうございました。

 
斜里岳 10/Aug/’94
利尻岳 15/Aug/’94
礼文岳 17/Aug/’94

清岳荘

6:25発

野営場

4:00発

内路

11:30発
1:35 1:55 0:55

ピーク

8:35発

長官山

ピーク

13:10発
1:25 0:45 0:45

清岳荘

10:00着

ピーク

7:30発

内路

13:55着
2:25

野営場

9:55着