記 辻 博之 

 僕にとって思い入れというニュアンスにみあう山となると、15歳の夏に行った白馬岳でしょうか。もともと僕は親に連れられて小学校に上がる頃から山歩きを始めたのですが、86年に高校に入り、はじめて仲間同志でアルプスにでかけたのです。

 国鉄の夜行「きたぐに」で寝不足のまま糸魚川に着き、大糸線で白馬駅へ。この時に見た白馬三山の朝焼けは10年たった今でも強烈にまぶたに焼きついています。あるいはあの時の光景を追い求めて今でも登り続けているのかもしれません。

 駅からはタクシーで猿倉に入り、寝不足の体にムチ打って歩き出しましたが、林道終点まで来ると突然頭がクラクラし、僕はぶっ倒れてしまいました。当時まだ貧弱だった自分には27kgにもふくれあがったザックは拷問のようでした。そんな訳で、そこから白馬尻までは先輩にザックを持ってもらい空身でフラフラになりながら歩き、少し昼寝をして元気を取り戻しました。

 しかし、完調とは言えない体では頂上宿舎までの道のりは遠く、テント場に着いたのは19時をかなり過ぎた頃で、この時点ですでに針ノ木峠までの計画はパァとなり、結果的には五竜までしか行けませんでした。こんなにもバテたのは後にも先にもこの時だけであり、心の中で
「いつかもう一度来よう。今回は余裕がなくて景色どころじゃなかったけれど、次は満足できる山行にしよう。」と決めたのです。

 

 時は流れ、95年の夏がやって来ました。僕は岩蜂の小川君と当時の仲間、寺内君と3人で10年前と同じ日程で白馬へ向かいました。ところが、前の週に続いた大雨で、猿倉までの道が通れず、大雪渓も2本のクレバスが走っているとの事で、やむなく栂池-白馬大池-小蓮華一白馬三山一鑓温泉-猿倉のコースに変更したのです。そしてそれがまた一つの偶然を呼ぶ事になります。

 栂池の駐車場に車を置いた僕たちは、ゴンドラで高度を稼いで10時に歩き出しました。さすがに登り始めはきつく、20分程度でいきなり休みをとり、再び歩き出した時でした。前方からこっちへ誰かが駆け寄って来るので、いったい誰だろうとよく見てみると、それは10年前共に登った5人のうちの1人、谷口君だとわかりました。彼とは最近全く連絡がとれず、7年ぶりの再会で、しかもこの場所で会うなんて、偶然が呼んだスペシャルゲストです。

 そんな訳で当時の高校1年3人組はえらく盛り上がり、白馬大池まで同道となりました。みんな昔と全く変わっていなくて大笑いでした。

 谷口君と別れてから、順調に僕らは足を進め、16時過ぎには白馬岳に着きました。10年前は下ばかり見て歩いたので、山頂の風景は全く記憶にありませんでしたから、感動はひとしおでした。この時やっと10年前のかりは返せた様に思います。

 山行のフィナーレ、猿倉からの林道に合流した所で、ふと大雪渓の方を仰ぎ見ると、そこに10年前の夏、15歳だった自分が必死に歩く後姿を見た気がしました。あれから10年、自分や取り囲む周りの状況はめまぐろしく変わりました。今回ひとつ分かった事は、少年だったあの夏に見た朝焼けや蒼すぎる空は、もう今の自分には見る事はできなくなってしまったという事です。山登りのいいところは、例えばその山に初めて登ったのが15歳の時なら、そこに来るといつでも15歳の時の気持ちや風を思い出せるという事を発見したのは収穫でした。

 最後になりましたが、今回常に微笑みながらつき合ってくれた小川君、10年前の仲間であり、20年来のつき合いでもある寺内君、偶然の出合いとはいえ10年前の山行のリーダー格だった谷口君、僕のわがままの一言につきる山行に参加してくれて有り難うございました。なお、白馬在住のOG伊東享子さん、いろいろ大変お世話になりました。

 

 次は福井から宴会本部長の西村一郎さんです。お楽しみに。