KGK Chandra Bhaga Himalaya
CB-13(6264m)Expedition 1994

 


記 足立健一

北インド、Himachal Pradesh州のCB-13峰(6264m)の登頂を目指した、関西岩峰会隊は、先発隊が7/20に、後発隊が7/24にDelhi入りした。

Manali、Batalを経由して、7/30サウスダッカ氷河の4300m地点にB.Cを建設。8/1サウスダッカ氷河から枝氷河へ入り、5000m地点にC1を建設。8/2、5500mのC2予定地まで高度順化のあと、一旦B.Cへ下った。

2日間の休養のあと、8/5アタックのためB.Cを出発した。8/6、C2を建設。8/7、5:00、C2を出発して北稜に取り付いた。250m雪稜を直上。さらに300m雪面をコンテで進む。岩と雪のミックスを200m直上してトラバース点に至る。250mもろい岩壁をトラバースし、50m岩のリッジを直上。さらに50m雪稜を直上して11:00頂上へ出た。ガスのため視界は良くなかた。頂上での一連の行事を終えて同ルートを下降する。C2着17:00。FIX、支点等すべて回収し、我々の足跡以外、北稜には何も残さなかった。8/8 C1,C2を撤収してB.Cへ下山。8/14全員無事、帰国した。

 

 隊長  奥 和男
副隊長  足立健一
隊員  唐橋芳和、 *辻 かをり 、*鮓本誠 、*川奈部隆之、*横山 哲
R.O:ディリップ クマール ダス、HAP:*ラヴィ プラカシ ネギ、コック:ラメッシュ クマール シャーマ  *印は登頂者
 


ルート概略

 

記 鮓本 誠

1、 1、BCからC1

南ダッカ氷河を忠実につめる。CB-14が左手に見える。CB-14を越えたあたりの枝氷河をつめる。CB-13を正面に見るあたりでC1。
2、C1からC2
C1を出てすぐ雪面となる。傾斜は緩いがところどころクレバスがある。北稜のコルの手前は少し傾斜もきつく、雪面も氷化しているので1ピッチ、FIXを張る。
3、C2から頂上へ
� 5ピッチ、FIX。岩と雪のコンタクトライン。
� 中央雪田帯をコンテで進む。
�雪田帯も終わり、残置FIXロープは頂上へ延びているが、そこには雪がないので、右へ右へと雪を求めて進む。雪は薄く、氷化している。少し傾斜のあるガリーっぽい所を抜けるとトラバース点である。
�二つほど雪のないガラガラのルンゼをトラバースすると、下から残置のFIXロープが延びてきている。そこからFIXどうしに大小三つほどガラガラのルンゼをトラバース。
� ボロボロのリッジから簡単な雪面を経て、頂上。
� 下りは登りのルートを忠実に下降。

 

 

インドのやまおくでんでんかたつむりんごは
まっかっかあさんおこりんぼ…

 

記 唐橋芳和

 なんて湿っぽい国だ!。それがインドへ来ての第一印象だった。大阪を出て約半日、こんな遠い所へ飛行機だとすぐ来れるという、少し不思議な気持ち?で、日本とは又違った暑さの町デリーに無事到着した。到着当日は、現地の旅行会社シカール社が用意してくれたジャンパトホテルに泊まる。こちらでは結構いいホテルのようだがベッドが湿っぽいのは、まあ、仕方が無い事なのだろうか?。次の日からは、IMFでの宿泊となる。IMFでリエゾンのクマール氏と合流。おなかの出たおっちゃん的な、本当にクライマー?って感じのリエゾンだ。インドへ来て三日目、予想どうりと言うか、インドでの洗礼(下痢ピー)を受けてしまった。二日間何も食べられないくらい「ダウン」。デリーでの買いだし等も終え、後発隊とも合流し、トランシーバの使用許可で半日予定が遅れたもののデリーを後にした。
マナリは上高地のようなきれいな所だが、空気はトラックやバスの排気ガスでとても悪い、少し残念な気もする。マナリ登山学校でハイポータとキッチンボーイを頼む。ハイポータの名前はラビー。ラビーはなかなか男前で、体力もありそうだ。性格も陽気で、終始、隊の雰囲気を和やかにしてくれた。キッチンボーイの名前はラメッシュ。ラメッシュの作るプラウやカレーはとてもおいしかった。ラメッシュもハイポータを目指している。将来有望である。ラメッシュは嘘つきであったと言うことは言わない事にしておこう。これでメンバー全員がそろったわけです。
マナリからバスに揺られること約7時間バタールに着く。バタールは、一家族のみが住む、村というよりバス停だ。僕たちは皆、もっと多くの人が住む村だと思っていた。次の日は、高度順化の為クンザンパスへ行き、その次の日BC入りとなる。ポニーにほとんどの荷物を持ってもらい、僕たちは、ほぼ空荷で行く。途中膝くらいの徒渉がある。氷河の解けた水なので、非常に冷たい。途中のダッカという所は、広々とした草原で、遠くには羊の群れが見え、とても気持ちの良いBC入りとなった。BC到着後すぐにテント設営等作業にかかるが、高所の為なかなかはかどらない。少し動くと息はきれ、頭の回転も鈍くなり、それでもなんとか夕方にはBCが出来上がった。私とラビーが作った石組みのトイレは、なかなかの出来であった。
さて、ここからは、本格的な登山となる。C1の荷上げの途中、南ダッカ氷河左のモレーンの奥にCB-13ピークが頭を出した。高度を上げていくにつれ悲壮になって来ていたみんなの顔が、一瞬ほころんだ。しかし、C1手前の急なモレーンを上がっていくと、みんなの顔は青くなるのであった。C1は氷河の上に平べったい石を敷き詰めて、敷地を作った。その日は、BCへ戻り、次の日C2荷上げ、順化の為もう一度C1入り。C1からもう少し高い所まで順化しようと登っていく途中、奥さんが体調がすぐれないので一人でC1のテントまで戻る。そのすぐ後、奥さんが「おーい」と僕たちを呼ぶので戻ってみると、高度の影響で体がしびれてきたとの事、すぐラビーに付いてもらいBCまで下山された。次の日、C1出発後約1時間歩いた所で下からラビーが追いついて来た。何とBCからC1まで2時間位で上がって来たのである。C2直下は氷の上に10cmほど雪が積もった急登で、アイゼンを蹴り込んで登る。C2の空気はとても薄く感じる。座っていても頭が痛い。C2テント場を整地した後BCまで戻る。BCの空気の濃さが身にしみる。

頂上アタック出発まで二日間休養日だ。朝からのんびりと過ごす。時間があるので、洗濯をしたり日本食を作ったりする。しかしこの時食べた手巻き寿司が、プロブレムだったのだ!。アタック出発前日の夕方からひどい下痢になる。昨日食べた手巻き寿司の卵が、大当たりしてしまったようだ。夜中も2時間おき位に水状の下痢になる。アタック出発当日も、下痢は止まらずアタック出発を諦めなければならなくなった。アタックメンバーを送り出した後、さすがにくやしくて涙が止まらない。

8月7日、今日はアタックの日。今日一日トランシーバの交信を待つ。以下は交信の記録である。
》 4:30 全員体調良好。足立さんを除く、ラビー、鮓本、辻、横山、川奈部の5名で出発。
》 9:20 6100m、トップのラビーが右に行き過ぎたため、現在トラバース中。
》10:55 頂上直下よりコール。ラビーと辻が上で抱き合っているのでもうすぐ頂上だと思われます。
》11:10 全員頂上に着、景色は西の方がよく見える。写真撮りまくっている。横山「感動している、嬉しい」、辻「体調良、ここまで来れて嬉しい」、ラビー「???」、ドテチン「ウルウルしている」、鮓本「アイシテマース」
CB-13a確認出来る。CB-14確認出来ない。
》17:15 ラビー以外C2着。ラビーは最後のFIX回収中。全員元気に無事C2着、足立さんも元気。
》17:50 明日の予定、C2は5時起き、8時出発、10時C1着。
次の日、体調は完全に回復していたので、ラメッシュと共にC1撤収に上がる。CB-13を最後に見納めて下山。BC撤収日は、燃やせるゴミは燃やし、後は持ち帰る。きれいに掃除をし、バタールまで下山。マナリまでは、雨の漏るトラックの荷台に揺られて行く。マナリでラビー、ラメッシュと別れ、チャーターバスでデリーに帰る。デリーでは、遠征の成功を祝い高級インド料理店へ行き、ショッピング等少し旅行気分を味わった。
今回の遠征では、C2までしか行けなかったものの、高所における自分の体の状態等がわかり、高所での行動の仕方など非常に勉強になる事ばかりだった。なによりも良かったのは、クマールやラビーやラメッシュ等、色々な人とのつながりが持てた事だった。今回の遠征は一生忘れられない思い出と経験になりました。これをステップにさらにレベルアップした山行を目指したいと思います。
最後になりましたが、様々な方のご協力の基に、無事遠征を終えられた事を厚く御礼申し上げます。