記 川奈部隆之


1998年12月30日~1999年1月4日
もう半年以上がたってしまい、こんな暑い時に何なのですが、正月に行った硫黄尾根の山行の報告いたします。国内の登攀ではこれだけ「けっけっけっけ!」と思った山行は、2月の丸山東壁以来であり、単独でこれだけの思いをしたのも初めてのことでした。自分自身、まとめたいなあ、と思っていましたが、青年海外迷惑隊の準備が忙しくなり始め、気がついたら、エジプトにいる始末です。幸いにしてここエジプトはゆっくり時間が流れているので、まとめることが出来ました。エジプトからの初の山行レポート、なぜか?硫黄尾根で申し訳ございません。
●12月30日 (天気―曇り時々雪ちらつく) 七倉出発15:25~16:15高瀬ダム下16:30~17:00ダム上~18:22名無小屋泊

雪が少なく、思っていたより早く、名無小屋に到着する。焚き付けに使えるものがあるか探していたら、雑誌がたくさん出てきた。その中にHな本もあり思わず見入ってしまう。が寒さで我に帰り、何をしているんだあ!!と頭をポコポコ叩き、現実に戻る。
緊張のためか、睡眠不足にもかかわらず眠れない。名無小屋ノートを見ていたら、知っている名前がたくさん出てくる。笑ってしまう。そのおかげか、知らぬ間に眠りに落ちる。

●12月31日 (天気―曇り) 5:00起床~7:00名無小屋出発~8:15湯俣発電所8:25~8:45硫黄尾根取り付き~11:20硫黄ジャンダルムP1手前~16:15P6ピーク~16:40小次郎のコル少し手前幕営

湯俣を過ぎ、つり橋の手前、いつも帰りたくなる崖のいやらしいトラバースがなくなって、ただの河原になっている。すざましい量の土砂が流れ込んできたみたいである。
硫黄の取り付き付近の急登は、雪が少なく熊笹の上に少し乗った雪に足がとられ、登りにくい。しばらく3歩進んで4歩下がるみたいなことをしていたが、アイゼンを履いたら楽勝になる。トレースも見え始めラッセルも無く、快適に歩を進める。

尾根に上がったところでテントが張っているのを見つける。まだ早い時間にこんな場所で?と不思議になり声をかけてみる。聞いてみると、私と同じく単独の方で、アイゼンをつけてみたがサイズが合わないみたいで、調整も出来ず考えていたそうである。私の持っている工具で合わしたがダメである。もう敗退するとおっしゃる。仕方がないしなあ・。

少し情報をその方から仕入れる。七倉の補導所のおじさんに聞かれたそうであるが、2パーティが、2日前に硫黄に入ったそうである。その2日で雪が降ったのでトレースはあてに出来ないであろう。さらに緊張してくる。

その後、不思議とトレースが残っており苦労することはなかったが、P1付近からやはりトレースも無くなり、ひざから腰のラッセルになる。P3の手前で懸垂に備え登攀用具をつけていたら、自分の足元のすぐ横で亀裂が入り崩れ落ちる。さっき乗っていた所である。雪庇だったみたいである。恐ろしや~。

P3の懸垂も、千丈沢側の沢に降りすぎ苦労する。雪崩れそうな沢を、青くなりながら必死に登る。後はザイルを出すことなく登り続ける。P6のピークから急な這松帯を、ほとんど滑落状態で落ちて行く。苦労して稼いだ標高をこの大くだりで無駄にする。いざ敗退となった時、この斜面をラッセルして登り返すのは大変であろう。両方の意味でため息が出る。はぁ~

小次郎のコルの少し前に思われたが、疲れもあり、さらにラッセルも深くなったので、行動を打ちきる。テントの中で、硫黄ジャンダルム群でびびり、常に敗退を考えていた自分に情けなくなり、それでいながら、P6の斜面を下ってしまった自分を恐ろしくも思う。

●1月1日 (天気―曇りのち晴、朝時より風雪) 7:50テント場出発~8:05小次郎のコル~13:10硫黄岳ピーク~13:30硫黄台地雷鳥ルンゼ降り口13:50~15:20南峰直下のコル幕営

昨日より雪は安定して来ていたが、ラッセルがむちゃくちゃ深くなり、ほとんど腰から胸のラッセルになる。硫黄岳手前の支尾根と合流するところの雪壁が非常にきつく、胸までの雪の中、もがきつつ、少しでも引っ張り上げられる小枝を見つけては、それを頼りに少しずつ体を引っ張り上げる。支点になるいい木もないので、もしここを敗退するなら、デットマンを残置するしかないなあ、それを使っても敗退は危険だなあとも思う。ああだめだ、また敗退のことを考えてしまう。

硫黄岳のピークから硫黄台地までは、ワカンをつけられたので楽である。雷鳥ルンゼの降り口で台地に泊まるか、突っ込むかしばし悩む。時間的にはまだまだ行動できるのだけど、ここを下降するといよいよ敗退は難しく、そして目の前に広がる赤岳ジャンダルム群、赤岳主峰群が、恐ろしいのである。胃がきりきりしてくる。

結局、先ほどの硫黄岳手前の雪壁を思いだし、もう敗退は無理なんだ!!と無理やり思うことにし、下降を開始する。2ヵ所懸垂を交え下降し、岩峰を湯俣側に大きく巻き南峰直下のコルと思われるところに立つ。

風が強くなってきたこともあり、千丈側の雪面を切り、幕営する。時間的にもいい時間になる。湯俣側から吹く風をよけることができ、吹流しから外を見ると夕暮れの北鎌尾根も美しい。静かで景色もいい幕営地であるが、明日の予定を思うと深く眠れない。

●1月2日 (天気―曇り、風雪時おり強し) 7:20テント場出発~7:35南峰ピーク~8:44P3P4のコル~13:30中山沢のコル幕営

南峰のピークまではテント場からひと登りである。雪もクラストしておりラッセルはほとんどない。ただ風雪が強くなってきているのが気がかりである。南峰のピークから見るのこぎりの歯のような赤岳ジャンダルム群。圧倒はされるが、昨日みたいな恐怖心は不思議とない。ここまで来てしまったら仕方がないというあきらめが、自分なりに恐怖心を消化し、気力を充実さしているみたいである。心と体ひとつになっているという、充実感すらある。

P1P2を湯俣側から巻く。大きく巻いたみたいで、P3も一緒に巻いてしまう。そのせいかかなり底の方まで降りたので、登り返しがしんどい。

P4は少し恐ろしいが、ノーザイルで登る。P5も湯俣側の雪壁を、少し悩んだがノーザイルで登る。P5の懸垂は25mいっぱいで、なんとかぎりぎり湯俣側のテラスらしい所に降り立つ。そこから支点がわからず少し下にクライムダウンすると、左下に次の支点が見える。そこまでのトラバースがかなり悪い。10mほどさらに懸垂しコルに降り立つ。

P6と思われるピークは岩稜づたいに越え、P7までやせたリッジを登る。P7が少し悩み、ピーク近くまで登ってしまうが、ピナクル状の岩峰にぶち当たる。どうしようもなく、危ういクライムダウンをし、テラス状の所までもどり、急な雪壁状のルンゼをさらに下降し、尾根の末端を巻き2つ目のルンゼを登り返し、右側の岩稜へ這いあがる。ここがかなり悪い。岩稜からはP7とP8のコルまでの急な雪壁をトラバースする。

コルからは、千丈側のルンゼを這いあがり、やせた尾根を少し行く。すると見覚えのある前回夜間登攀になった所にでる。このピークを越えれば中山沢のコルである。湯俣側を少しトラバースし、尾根状のところからザイルを使う。湯俣側の壁の凹角状のところを直上すると、リッジのコルに出る。そこから千丈側の壁を左上すると中山沢のコルに懸垂する支点を発見する。その支点でさっきのテラスまで懸垂しザックを取り、ユマールでセルフを取り登り返す。この重荷を背負い登り返すのが、ソロのつらい所である。

風雪も強くなり完全な吹雪になってくる。思ったより早く中山沢のコルにたどり着き、先に進むか悩むが、精神的にも肉体的にも限界で、、悩んでいるうちに風雪もさらに強くなったこともあり、幕営に決める。晩になり風で吹き溜まるのか、降雪が増えてきたのか

テントが埋まってくる。何度も除雪に出ることになり、眠ることできない。明日の赤岳主峰群、どうなることやら・。

●1月3日 (天気―朝吹雪、昼すぎ回復風強し) 7:30テント場出発~11:00赤岳主峰群1峰~15:30白樺平幕営

1m以上の積雪はあったみたいで、吹雪も続いており行動するか?しないか?悩む。ここで閉じ込められるのもいやなので、P1の雪壁の状態を見て悪ければまたここに幕営するつもりで、とりあえずは行動することにする。

P1の雪壁は急峻なため新雪は思っていたより着いてはなかったが、雪の状態が、クラストしているのか、していないのか、なんとも不安定な雪ですごく登りづらい。しばらく落ちたらやばいなあ!やばいなあ!と思いつつもノーザイルで登るが、雪壁の真中ぐらいで恐くなりザイルを出す。ただあまり支点はよくなく、あまりザイルを出す意味がない。

そこからほぼ50mザイルいっぱい直上し、稜に出る。ザイルを片付け、稜どうしに進む。途中6mほどのトラバースが、千丈沢側にすっぱり切れ落ちており、そのうえ頭ほどのラッセルで、その6mに1時間もかかってしまう。

そこから千丈側のミックス壁をP1のピークまで登り、少しクライムダウンし懸垂する。なかなか支点が見つからず、結局、冷蔵庫くらいのピナクルにスリングを巻きつけ、懸垂の態勢に入ろうとするが、なんかいやな予感がして、もう一度上に回り込みその岩を蹴飛ばすとあっさり下へ落ちて行った。ヒェ~。さらに下にずり落ちた所にある巨大なピナクルに、大スリングを2つ使って巻きつけ何度もチェックし懸垂しコルに降り立つ。

千丈側はふかふかの新雪がのっておりラッセルが深いうえ、雪崩れの危険がありすごく気を使う。出来るだけ稜通し、もしくは湯俣側を行く。P2までの稜上で、雪と岩の隙間でもがいていたら、変な風に足がねじれ古傷の膝の靭帯を伸ばしてしまう。膝が外れたようになりしばらくして、パクンと入る。激痛のため雪に体を投げ出しうめく。頭も真っ暗になるが、思ったより痛みはすぐに引き、恐る恐る登り始める。大丈夫そうである。逆に、少し雪の状態の悪さに焦っていた自分自身を、落ち着かせてくれたみたいである。

そこからほとんど稜通しを登る。1つ2つのピークは頂上の岩峰の湯俣側を巻く。(かなり恐ろしい) 最後の核心と思われるのこぎりの歯のようなやせ尾根に出る。稜通しにしばらく行くが、どこかでザイルを出そうと思っていたが、出すタイミングを逃し、稜上の一番やせたところで馬乗り状態のまま行き詰まる。1歩2歩先でコルに下りられるのだけど恐くて足がでない。なんやかんや試みていたら、またも膝がおかしくなる。馬乗り状態のまましばらく激痛にこらえる。こんな所でこんな状態に・最悪である。

なんとかコルに降り立つ。ここから稜上の通過は無理で、前回は千丈側を通過した覚えがあるが、千丈側の雪の状態は最悪である。少しまた悩むが、何気なく湯俣側を見ると、少し先の岩稜の裏側が雪の吹き溜まりのテラスになっている。そこまで行けばなんとかなりそうである。コルから湯俣側の急峻なルンゼを少し下降し、岩の所を回り込みそのテラスにずり入る。

あとは這い松まじりの目の前の雪壁を登れば、核心は終わる。安全圏に入れる。今までの危険地帯を思えば、ザイルを使う程の所でもなかったが、最後こそザイルを使おうと、アングルを岩の割れ目にばっちりきかし、ザイルを出す。ザイルいっぱい伸ばし、しっかりとした白樺でピッチをきる。結果的に思ったより悪く、ザイルを出して正解である。

そこから少しラッセルになるが、技術的には難しいところはない。15:00白樺平に到着する。風は恐ろしく強いが、天気はいつのまにか回復しており、雪煙わきでる北鎌尾根が見える。あまりにも強い達成感のため、体がぶるぶる震えてくる。

大声で「エ イ ド リ ア - ン」と叫んでしまう。

体はボロボロなうえ、恐ろしく風が強く寒い夜になるが、危険地帯を抜けた安心感からか、硫黄尾根に入ってから初めてまともに眠りに落ちる。

●1月4日 (天気―朝ガスの中、昼より晴) 8:00テント場出発~9:30西鎌尾根上~12:45千丈乗越~15:15槍平~18:00新穂高温泉バスターミナル

硫黄尾根に取り付いてからというもの、リラックスすることがまったくなかった。ことさら夜テントの中では、その日の行動で体に引っ付いた恐怖心が、心の中に入ってきて、翌日の行動を考える頭の中に恐怖を植え付ける。眠ることが出来ない。朝、行動を開始し岩に取り付くとそれほど恐ろしさはなく、自分でもびっくりするぐらい集中することが出来るが、幕営しまた夜が来ると自分の中での戦いになる。夜は恐ろしい。

昨夜は初めてその恐怖から解放された。風は恐ろしく強く、普通なら眠れなかったくらいであるが、知らぬ間に眠りの底に落ちて行った。気がつけば真っ白な朝だった。

テント場を後にし、目の前の尾根を登ったらいいんだろうと、深いガスの中、登って行くが、どんどん尾根がやせていく。少しづつガスが取れはじめ、振り返ると下の方になだらかな尾根が西鎌尾根のコル状の所に突き上げている。それに比べこの尾根はどんどん標高を上げて行く。前回はこんな危険な所を登っていない。う~ん間違えたみたいである。

戻るのも危険になってきたので仕方がなく、1歩1歩登攀を続ける。西鎌尾根まで続いてなかったらどうしよう?と不安もあったが、いくつか恐ろしい箇所を抜けると、西鎌尾根のピーク状の所に飛び出す。最後の最後まで硫黄尾根らしい所を登ったみたいである。完登できたとという実感と、まだ油断は出来ないが生きて帰れるという実感が湧いてくる。

思っていたより、千丈乗越しは遠く、ラッセルにも苦しむ。千丈乗越しでは、ガスも晴れ見えてきた槍に、登るか下山するか悩む。計画では槍もGETする予定ではあったが、今の体力では、槍に行くともう1泊かかってしまうであろう。里心がついた頭では、体は自然と下山へと向かう。

乗越しからは、槍から下山してきたと思われるパーティに追いつくまではトレースがあったが、追いついてしまうと自然と交代になり、もういい加減やり足りたラッセルになる。ここでラッセルになるとは・。

40分くらいラッセルをしていたら登ってくる人に会う。や~ったぁぁぁ もうラッセルはないぞ!!15:00に槍平に着く。天気も良くなってきており、星を見ながら気楽に槍平で一泊も考えたが、1度ついた里心に勝てるものはなく、そのままの勢いで、フラフラになった体にむち打ち、新穂高を目指す。18:00過ぎ、新穂高に到着する。そして今回の山行も終了する。

最初は屏風の東壁ルンゼのリバイバルに行くつもりだった。しかしパートナーが行く前にケガをし、ソロで行こうかとも思ったが「う~ん東壁ルンゼ、ソロはやっぱり恐い」と思いなおし、1度行った硫黄尾根だけれど、ソロで行くなら2年分の貯金ができる思い硫黄に向かった。そして誰もいない硫黄尾根で1人ラッセルし1人登攀し1人考え、そして1人想った。強い吹雪の中、前後を雪壁と岩壁に挟まれた中山沢のコルで味わった隔絶感と恐怖。登攀中の恐さよりも、夜になったら横に現れる深淵の恐さ。初めて味わう経験もたくさんあった。ヒマラヤで自分がしたいことを思うと、これくらいの隔絶感、深淵の恐怖にびびってはダメなのだろうか?強さをもっと持ち、弱さも持っていたい。難しいか。

エジプトに来て甘~いアラビア茶を飲んでいると、骨が抜けそうで恐いです。2年間まったく違った空気を吸い、また違うスタンスで山を想えたら楽しいだろうなあとも思っています。ただ硫黄尾根で身にすり込んだ山勘みたいなものは忘れることなく2年後come back するつもりです。怪しいアラブ人になっているかもしれませんが、宜しくお願いします。
イン シャ アッラー