記 大住宏明


 今回の唐沢岳北尾根は、去年の冬合宿に果たせなかった原登山の再挑戦という形で実現した。人に荒らされる事がすくなかったルートを苦労して進もうということだ。やはり自然は甘くなく、また数々のハプニングも起った反省点の多い山行となった。以下詳細を報告する

 

12月30日7時、京都駅に三々五々集合する。この時集まったメンバーのほとんどが睡眠不足だった事は、後で起こる『岩峰会の歴史に残る汚点』の言い訳には成らないだろう。大町でタクシーに乗り換え(車は名鉄タクシーにデポ)七倉山荘前へ。手前のゲートは閉められており、ここから歩きとなる。1時間弱で高瀬ダムに着き、硫黄尾根に向かう川奈部氏と別れる。トンネル工事用のシールドシートを風避けに使い、トンネル内にテントを幕営。

幕営後共同装備を並べ6人分に分担する作業を終え、さあ夕食を作ろうとした時、『コッフェルセットは誰が持っているの?』『えっ・・・』の会話の後、やっとコッフェルセットが並んでいないことに気づく。確認すると誰も持ってきていない。今まで『テントポール』、『ピッケル』を忘れた人を知っているが、使用するだいぶ前に忘れた事には気づいていた。また、二日前に一名を除いて(すいません)装備点検のために集合したことがまったく役に立っていない。一同沈黙の後すぐ善後策の検討に入る。どの策をとっても半日行動が遅れることになる。『手持ちのコッフェルで何とかならないかな』と言っていると、小瀧氏が個人用にしては大きなコッフェルを出してくる。これなら特に問題はなく、おかげで予定通り行動できる。夜より雪が降り始める。

 

12月31日、4時起床。天候は曇り時々雪、昨日の積雪は10cmぐらい。高瀬ダムの放水路を渡り、唐沢の左岸を進む。右岸に渡る所からアイゼン装着し、堰堤に所々出てくるアルミ製梯子を乗り越えていく。今日の核心の金時の滝には雪が結構付いており、幾本ものフィックスザイルが上部まであり問題なくこなしていく。ここからは樹林帯になり下部はクマザサが結構生えている。しばらくは赤布も見えていたがやがてその気配もなくなり、P1861mを目指し斜面を行く。メンバーの誰も2万5千の地図を持ってきていなかった。樹林帯のため積雪はそれ程深くはないが、クマザサが結構深く、歩きにくい。そのうちイラチの富永女史が『あー、もういやっ!』とキレ、唐橋CLも後に続いてキレた。まあ予想通りの順番である。

高度を上げるにつれ倒木が多くなり、雪も深くさらに歩きにくくなる。稜線に出る手前辺りで、尾上嬢がバランスを崩し転倒。その反動で片方のメガネのレンズが外れ、懸命の捜索にも関わらず行方不明になられたのであった。稜線に出るとクマザサの代わりにさらに手強いシャクナゲが姿を現し、積雪もさらに深くなる。小さなアップダウンを繰り返し、登って行くがどうやらP1861mは登らずにかなり東寄りに進んだみたいである。トップでラッセルしていると意志と反して進みやすい方向へ行くため、まっすぐに進めない。倒木があるとかなりの迂回を強いられる。

テントが張れそうな平坦部を過ぎ、両側が切り立った岩峰を鮓本SLと大住が取り付いていたが、日も暮れかかっていたのと登攀に多少問題があるということで、手前で幕営することになる。平坦部は専門家の鮓本SLの指導により基礎工事をして、辛うじて6テンが張れる程度である。小瀧氏のコッフェルが活躍し、年越しそばも食べられて満足して就寝。

 

1月1日、4時半起床。朝食を食べ出発の準備を終えたところ。どうも鮓本SLの調子が悪そう。昨日より咳をしていたのが気になっていたのだが。協議の結果、今日は停滞し、明日唐沢岳ピストンで縦走は中止ということになった。そうとなれば後は寝るだけだが、居住性向上のため昨日の基礎工事の続きを行う。水用の雪も上物を用意した。元旦から山で寝正月というのもなかなか経験できない貴重な体験であった。しかも夕方までみんなほんとうに寝ていた。

1月2日、4時半起床。鮓本SLの調子もまずまず。天気は昨日の晴天とは異なり雪がちらついている。目の前の岩峰は1ピッチザイルを張る。登ったところが幕岩の上部と同じ高度か。相変わらず薮こぎをしながら尾根を進んでいく。稜線上の大きなスラブ状岩を右に巻き乗越すと、東尾根がかなり近づいてくるのが見える。幕岩尾根が右から合流するところで森林限界となり、薮はなくなり歩きやすくなる。2つの岩峰を右に巻き、ルンゼのやらしい所を1ピッチフィックスし登り詰める。視界には後ひとつの小さな岩峰が見えるのみ。でもそこはピークではなく、その奥が唐沢岳であった。

写真撮影した後、すぐに引き返す。この時すでに13時25分。急いで降りなければならない。ルンゼを懸垂下降し、順次高度を下げていく。雪が結構降っていたため、トレースもかなり埋まっている。『腹へったなぁ~』と思いながら歩いていたのが悪かったのか、雪庇を踏み抜いてしまい、8m程落下してしまった。着地場所が運良く雪が溜まっており、転げ落ちながら止まった所がまた運良く深く切れ落ちる手前であった。トレース通り歩いていたのだけれど、支えきれなかったみたいである。とりあえず『ケガはないーっ!』と返事をし、動けない(動くと落ちる)ので唐橋CLに救出に来てもらった。ザイルに確保した後、最低の記念写真を撮り、みんなが待つ所へ。みなさん拍手で迎えてくれました。ケガらしいケガは、転がっている状態で必死でピッケルを打ち込んだ時、石突の部分で右膝を切っただけある。みなさんご迷惑をおかけしました。

テン場が見える最後の降りの所で暗くなり、ヘッドランプを付け懸垂下降、やっとテン場に着く。



 

 

1月3日、5時起床。昨日の最後のピッチのザイル回収に唐橋CL、鮓本SLが向かう。その間にテント撤収。帰路も薮の洗礼に逢うが、降りの方がまだましである。ほぼ登りと同じルートをたどり降りていく。やがて金時の滝上部に着く。初めに大住が降りるが結構雪が深く、上部からだと25mでは核心部にまで届かず、少し降りたところでピッチを切り、2ピッチにて抜ける。また一カ所堰堤も懸垂でパスする。高瀬ダムで記念撮影の後七倉山荘まで歩き、タクシーを待つ。デポした車を回収し、温泉、食事の後京都へ。みんなご苦労様でした。

こぼれ話

●なぜ小瀧氏は大きなコッフルが必要だったのか?
雪かき用として使うために持ってきていた。この用意周到性がみんなを救ったのだった

●人参脱色事件
きざんだ人参と大根を見て富永女史が真剣に悩んでいた。それはトンネル内で幕営したため、照明用のナトリウムライトの単色光が人参を大根と同じ白色に見せ見分けがつかなかったのだ

●時間感覚の遅延知覚
雪庇を踏み抜いて落ちている時間は以外と長く感じた。また今までの人生が走馬燈の様に頭に浮かぶことはなかった。(^_^;

 

コースタイム

 

 
 
12/30
 
12/31
 
1/1

七倉山荘

15:25発

高瀬ダム

6:55発  
停滞
0:55 0:55

高瀬ダム

16:20着

金時の滝

3:55

北尾根稜線

2:25

テン場

15:50着
 

 
 
1/2
 
1/3

テン場

7:00発

テン場

8:40発
3:00 4:10

東尾根合流

金時の滝

3:00 1:20

 唐沢岳

13:25着

高瀬ダム

5:45 0:50

 テン場

19:25着

七倉山荘

15:45着