記:仕立 亮一
メンバー:鮓本、仕立、小瀧、足立 行程:2000年12/30~2001年1/3 |
京都駅に早い時間に集合し、名古屋まで新幹線で行く。名古屋発の特急にのり、信濃大町に昼前に到着。タクシーで七倉ダムまで行く。そこから長い車道と林道を歩き、名無小屋でノートにメモをして湯俣まで林道を行く。トレースがあるので助かった。何組かのパーティーが敗退していくようだ、なぜこんなに早く?と思ったが、どうやら天気予報があんまりよろしくないようだ。湯俣では初日限定豪華メニューで幸せなキャンプ生活を送れた。
12/31 湯俣~P3基部
長い一日であった。湯俣を暗いうちに出発し、川沿いの道を行く。このアプローチこそが核心だ、という人がいるがまったくもってそのとおりである。とにかくあぶないのである。FIXはあるが腐っており、信用できない。落ちれば冷たい川にまっさかさまでただでは済むまい。そんなところがいたるところにあるのだ。それに加えて渡渉である。これがつらい。(合計4回もある)
第一渡渉点はみんななんとか岩ずたいに行く。私はすこし靴をぬらしてしまう。小瀧君は靴を脱いでくる。第二渡渉点はみんな靴を脱いでいく、天気はあまりよくないのでけっこう悲惨な思いをしながらわたる、これが噂の渡渉か・・予想以上のつらさである。第三渡渉点はなんとか飛んで渡れた。鮓本さんはアイゼンをはいて、火花をちらしながらとび、まったく靴を濡らさなかった。で、「おー!おれってプロちゃうかー!」と興奮気味だ。
P2基部手前の最後の渡渉は木がわたしてあり、難なくわたれた。ここまで、けっこう敗退してくる人がたくさんいてすれ違っている。「正月はまだまだこれからなのになぜこんなに早く敗退すだ?・・」と思うが、天気予報からすると彼らが正解であった、ということはあとから思うことである。しかしやはり納得するまでやってみたいと思うのだ。
P2基部からは急な斜面で木登りになる。怖い木登りだ。斜面を上りきる手前でザイルをだし、草つき雪つき斜面をダブルアックスで登る。ここは危険だからロープを出したほうが良いと思う。この斜面をのぼりきるとようやく北鎌尾根に取り付いたことになる。適当に尾根つたいにいくが、ところどころ急な雪壁がでてきてダブルアックスで登る。しかし尾根にとりついてしまえばもうこっちのものといった感じだ、高まる気持ちを感じつつ、着実に歩を進める。目の前にP3らしき岩峰が見えるところで行動を打ち切ってテントをはった。天気予報を聞くがあまり良くない感じだ。
1/1 P3基部にて停滞
まったくもって元日らしくない朝。。ごーっという風の音で目覚める。すごい風が吹いている。天気図からいって強烈な冬型なので当然といえば当然なんだろう。よってとりあえず停滞して様子をみることにする。特にすることもなくゴロゴロしていると9時くらいから天気が急激に回復してきた。太陽がまぶしい。後続パーティーが1パーティーやってくる。
「今日はどうしたんですか?」
「停滞です」
「すすんだほうがいいんじゃないですか?」
「・・・(ほっといて!)これから天気がわるくなりそうなので」
「そうですか、僕達は8日までの食料がありますので」
そうかあ、それだけ食料に余裕があれば突っ込んでOKだろう。うらやましい。じっくりと腰をすえて、このすばらしいルートに取り組めることだろう。しかし残念ながら我々は1/4には下山しなければならない。尾根を抜けるのには天気がよければあと2日、下山に1日で日程的にはぎりぎりである。明日の天気に期待するしかない。天気図をつけるとやはり強烈な冬型、今日の晴天も夜にはくずれ、激しく雪がふりはじめた。今日の晴天は新田次郎の小説でよく出てきそうな、いわゆる「偽りの晴天」というやつのようだ。しかしあくまで完登をもくろむわれわれにとって、天気図をつけても、外の風の音を聞いても、でてくるのは楽観的考えばかりであった。すこし食料をきりつめて食事をし、就寝。
1/2 P3基部~P5手前(敗退)~千天出合~第3渡渉点
今日は少々天気が悪くともいくつもりで出発。雪がシンシンと降る中出発。最初は歩ける状態だったが、そのうちあたりが真っ白になるほどになってきた。もうそろそろ潮時かもしれない。目の前にはP5のでかい岩峰が聳えている。あとでわかったのだがここの岩峰のルートは左側を大きく巻くのだそうだ。我々は巻く地点をすぎて、まっすぐいってしまった。岩峰がはじまるところ、ビレー点があるのでそこでビレーしてもらい、撤退のきっかけをつくるかのように私がリードで様子を見に行く。非常に難しい岩場である。雪もいよいよはげしくなり、天気さえよければいけないこともない岩場だが、いかんせんこれでは・・・時間もかかっている。これからの天候も回復のきざしはない、ということで、私は引き返して一言、
「この天気ではこれから先、自信ありません」
鮓本リーダーいわく、
「よし、じゃあここから安全に帰りましょう!」
撤退決定である。さあ長い長いアプローチを逆戻りである。昨夜のテントサイトまで逃げ帰り、すこしの休憩ののち、下山開始する。P2の下りは懸垂下降でおりる。途中森中さんのパーティーに遭い、一緒に下山する。P2基部の渡渉点は行きと同じように靴を脱がなくても渡れた。千天出会いをすぎ、行きに飛んでわたれた第3渡渉点についた。もう靴を脱いで渡る気力も無く、そこでテントを張った。森中さんたちは靴を脱いでわたり、わたったところでテントを張っていた。結局、今日一日中、強い雪は降り止まなかった。
1/3 第3渡渉点~湯俣~高瀬ダム~信濃大町
今日はいきなり渡渉から始まった。寒い中、靴とズボンを脱いでパンツいっちょうになる。風と雪がすごいので、たったそれだけの作業で遭難しそうな雰囲気がただよう。川を渡るとなるとなおさら、あっというまに感覚はなくなり、苦痛に顔がゆがむ。川を渡りきって必死で靴下をはいているときも容赦なく地吹雪が襲ってくる。そんなわけで、ほんとうにズボン一枚はくのだけで大仕事なのである。この渡渉があと2回もあるのだ、先がおもいやられる。必死こいてラッセルしていると、第2渡渉点についた。もう靴をぬぎたくない私達はなんとかわたれないものかと目をこらした、あった、いけそうなところが!行きには靴を脱いだが、帰りはなんとかいけそうな感じである。そして気合一発、とんでわたれた。靴を脱がなくて済んだことで、かなり時間が稼げた。小瀧君はとても嬉しそうだ。靴を脱ごうとしていた森中さんたちもそれを見て飛んでわたったみたいである。その後の第一渡渉点もすこし靴をぬらしただけで脱がずにわたれた。
「やれやれ」しかしその後も油断はならない、危険なへつり道をなんども通って、やっとこさ湯俣のつり橋が見えた!ぼくはおもわずつぶやいていた。
「花子さん、今帰ったよ」
小瀧君は「こんなあぶないことはしちゃだめだよ~」と、もうコリゴリといった感じである。
ここまでの道は本当に危険であるが、湯俣から先は、危険なところはない、名無小屋のノートに「敗退しました」と記録し、腹減った腹減ったで下山。やっとの思いで七倉ダムにたどりついた時は既に暗くなっていた。鮓本リーダーは有無をいわせぬ公衆電話の交渉で迎えのタクシーをゲットし、なんとか大町の温泉までたどりついたのであった。それから先はもう幸せいっぱい。雪の降る中、露天の温泉につかり、ビールを飲み、じっくりと新年をあじわったのであった。松本で時間をつぶし、夜行列車で帰京。
今年の正月はご存知の通り本当に天気が悪かった。P3基部での停滞の判断は正解であった。みんながみんな、思いいれのあるルートだけになんとか完登したい気持ちは大きく、その中でのリーダーの判断は難しいものであったと思う。しかしあそこで突っ込んでいたら間違いなくその後の強烈な冬型につかまり、北鎌のコルあたりで1/6くらいまで閉じ込められていたことだろう、そしてまた遭難騒ぎ・・?引き返すのは残念であったが正解だった。昨今の暖冬で冬といえども安易に登れてしまっているが、これが本来の冬の槍ヶ岳の姿なのであろう、食料と日程をたくさんとってもう一度挑戦したいと思う。