記:富永 美智代

 

メンバー:新名・川奈部陽子・富永

行程:12/1夜 竹田発-北陸自動車道-槍見温泉
   12/2 8:00 槍見温泉発  15:00 雷鳥岩  17:00 笠が岳山荘 泊
   12/3 7:00 笠が岳山荘発  17:00 新穂高温泉 - 富山 - 京都

 

 今年は雪訓に行けないという話をしていたら、新名くんが笠が岳へと誘ってくれた。陽子ちゃんも行く事になり、3人で新穂高温泉へ向け12/1夜出発した。

 計画書から、装備、食料の準備まで新名くんがしてくれた。感謝感激。朝、槍見温泉から槍ヶ岳が見える。朝焼けしてきれいだった。天気はすこぶる良好な中、延々と登り続けた。とにかく長かった。この道を夏に歩けと言われても、遠慮する。私と多分陽子ちゃんもやっとの思いで雷鳥岩に到着。ここまでほとんど雪なし。雷鳥岩近辺ではテントを張るスペースも全くなく、天気もいいので笠が岳山頂を越え、笠が岳山荘まで行く事にする。3人の中で一番バテていた私の体力では、笠が岳山荘に日没までに着けなさそうだったので、新名くんが荷物をかなり引きうけてくれた。そういう心配をされないで済む体力をつけなあかんなあ、と反省する。新名くん、ありがとう。

 雷鳥岩からのトラバースで道に雪がついており、今回初めてのピッケルの登場となる。といっても杖代わり程度だった。山頂に向かう最後のトラバースに入る手前で、アイゼンをつける。そこまでの夏山状態から突然の冬山モード。慎重にトラバースする。「後15分程度でしょう。」と新名くんは言っていたが、私には45分はかかるように見えた。時間的にもぎりぎりで、だんだんと不安になってきていた中、陽子ちゃんにもうちょっと、もうちょっとと励まされながら歩く。雲ひとつない快晴で、御岳、乗鞍、南アルプス、その奥に富士山と全部が見渡せる中、富山側に大きな太陽が真っ赤になって沈んでいった。太陽は私たちも山も何もかもを真っ赤にしていった、その中には私たちだけしかいなくて、それはがんばって歩いている私たちに対する最高のご褒美だった。太陽が沈んだ直後、やっとの思いで山頂到着。

 山荘はそこから5分ほど下ったところにあった。標高差約2,000mを登った、長い長い1日だった。夜、星を見たら、もうちょっとで天の川になるという程の星の数。こんな夜空を見たのは本当に久しぶりで圧倒された。天気予報に反して明日の天気も良さそうに思えた。

 

 12月3日は天気予報が当り、曇天。ガスが出て昨日あれだけ見えた山並みは一切見えなくなっていた。コンパスで方向を確認して出発。小屋から少し歩いたところにテント場があった。そこで雷鳥を5羽見つける。真っ白でちっちゃくてすごくかわいかった。こんな所で風雪に身をさらしてよく生きていけるなあ、と感心してしまった。あんなにはかなそうなのに、とても強いんだ。稜線上を歩く。急峻なトラバースで私が躊躇してしまった。山側を向いてピッケルを指して一歩一歩確実に進む。今までの山行ではこういう場面ではロープがあったので怖いもんなし、だったが、今回はロープは持ってきていなかった。それにしても新名くんはともかく、陽子ちゃんは強い。精神的にタフだなあ、といつも感嘆するのである。さすがはどてこ。抜戸岩を通過し、さらに尾根上を快適に進む。昨日一番高い標高まで登ってしまっているから、気持ち的にはラクだった。が、ちょっとした上り坂がものすごくこたえた。笠新道の分岐に到着すると、笠新道の降り口が500m抜戸岳の方へ進んだ所に変わりました、との看板が立っていた。やっと着いたと思ったから落胆の色露になる。とにかく残り500m登ったら下りだー、とがんばって歩く。

 500m先には笠新道への分岐の道標が尾根から飛騨側にすこし下がった所に立っていた。道標に従って尾根上に出て下り道を探したけれど、どうもそれらしい道がない。もちろん夏道は雪に埋もれてないのだが、それにしてもわからなかった。結局さらにもう少しだけ抜戸岳よりの所を下りだす。昨日はあんなに雪がなかったのに、こっちの斜面には雪がべったりとついていた。深さは多分あまりなかったように思う。30~40cmくらいか? 急峻な下降で、岩混じり。ダガーポジションを決めて一歩一歩確実に下降した。雪がさくさくとした感じで、ピッケルもアイゼンもしっかり決まったから怖くはなかったけれど、滑落したら下までいってまうなーと思い、とにかく慎重に下った。

 下りやすい場所を新名くんがあっちへ行きこっちへ行きして探し出してくれながら下っていったが、行きやすい方を選んでいくと、どんどん左方向へ流されていってしまった。急峻な下降とトラバースを繰り返し、10時頃、あとはやぶだけ、という高さまで下った。しゃくなげと熊笹の藪で、ここまで来たら滑落はないなと思い、ほっとする。が、それは甘い期待だった。下に登山道は見えていたから後2時間くらいかな、と話していたのが、

 結局登山道に出たのは4時。6時間後だった。藪と草付きの壁、岩、トラバース。色んな物に道を阻まれ、ロープがあったらなあ、と何度か思った。 この日も新名くんは私の荷物を引きとってくれた。下りだから持てるよ、と言っていたが、後で聞いたら、あの時は3人のトータルの体力を考えていたらしい。確かに自分の面倒見るのが精一杯で顔は絶対ぼーっとしてたはずだ。アイゼンを引っ掛けずに歩く事、それしか考えてなかった。新名くんはあっちいき、こっちいきしながら、私や陽子ちゃんの事も考えて、一番重圧が大きかったに違いない。あんなに近くに一般道が見え、西穂のロープウェイの音が聞こえているのに、ビバークになるかも、無線は持ってるけど、予備日はとってないし、京都のみんなにも心配させるやろうなあ、というのが一番気が重かった。ビバークになる事自体は全然心配はなかったのだけど。

 一度だけ絶体絶命という行き詰まりになってしまったが、そこは新名くんが持っていたスリング5本をつないで、新名くんがピッケルを使ってうまく確保してくれ、陽子ちゃんと私はそれを補助に使いつつ下りた。新名くんは足が長かったので核心はあっさりと越えてしまった。結局双六小屋の方へ登って行くモレーンの一本手前のモレーンに出、登山道に出たのが4時だった。登山道に出てから、笠新道まで右側の壁を見つつ歩いたが、モレーン以外に下りれる場所はなかった。ずーっと切り立った壁、もしくは草付きの壁だった。沢も急峻すぎて降りれそうではなかった。オンサイトやなあ、と感動する。それにしてもフリーやってて良かった。「怖い!」と思ったら一歩も動けなくなる自分がいるのを知っていたから、怖いと思わないよう自分をコントロールできたし、トラバースもこなせたと思う。

 無事に帰ってきたが、とにかく反省材料がたくさんある事は間違い無い。初めての山域なら8mm、30mくらいの補助ロープだけでも持っていくとか、色々あると思う。私に関して言えば、とにかく”体力をつける事”これにつきる。あと読図もしかり。とにかく色んな意味で、脳裏に焼きついた山行だった。