10月3日~4日 ナッキーニャ
徳本峠にて
前田 鉄之助
そそり立つ山嶽を見た
天かぎる其の峰々の山霊を見た
薄藍の暮色にかかる白雲
晴天の夕空に
それは山の翁の髭かとも見えた
その永遠の原始を見た
霊ある山の静かさ
そそり立つ威容のなつかしさを見た
かくて旅人は山に甦った
うっとりと、底遠く
その神秘のこころを見た
カッコいい詩ですね。徳本峠から見た穂高の大伽藍に感嘆する様子が、生き生きと伝わってきます。数え切れないほど穂高に通いながら、未だに訪れる機会がない古の徳本峠越え。こういう詩を読むと行きたくなりますね。
入会した頃、それまでの会報を見せてもらうと、私と入れ違いで退会されたH女史が、詩を書いておられました。また、ネイチャーボ-イそのままの山男と思っていた、OBのY先輩に詩の心得があることを知ったときは驚いた。
山岳会って、ただ山に登る者、岩と雪を求める者の集まり。会報って、ただの山行記録集だと思っていましたから、山岳会にこのような文才に恵まれた人達がおられるのは意外でした。
で、詩ごころのかけらもない私ですが、行ってきました古の徳本峠越え、それも紅葉の時期に。
徳本峠への入口「島々宿」
島々谷の清流に沿って歩く。水量は多かった。
最新のテントに混じって、左端に何やら怪しいツェルトが・・・。
昼頃に着いたんでする事がなく、ウィスキーのポケット瓶は晩メシ前に空になってしまった。夕方から夜半にかけて強風が吹き荒れたが、○十年前の古いツェルトでも、きっちり張ると全然問題ありません。日が落ちると、酒を買いに行くのもめんどくさくなり、晩メシ喰ったら後は寝るだけ。 激しい風も2時過ぎには止んで、ふと外を見ると月と星が出ている。ゆっくり準備して4時に出発、月明かりのなか霞沢岳に向かう。
しだいに曇ってきて、森林限界を越えてK1ピークの登りはきつかった。K1から先の稜線はガスっているうえ、梓川から吹き上げる強風で飛ばされそう。
霞沢岳山頂にたどり着いた頃、強風でガスは吹き飛ばされ晴れてきた。
下山中にK1で休んでいると、背の高い精悍なランナーが走って登ってきた。「カッコいいファッションやなあ・・・」と見ていると、周りのオバさん連中が、「あっ、田中ヨーキさんや。写真撮らせてもらお」と騒ぎ出した。トレランの有名選手か?と思っていると、後からハンディーカメラを持った撮影スタッフが追いかけてきた。その後、JPの登り返しで追いつかれ、道をあけると「ありがとうございます」と礼を言って、爽やかに走り抜けて行かれた。帰ってから田中ヨーキさんが、NHK・BSで放映されている、日本200名山グレートトラバース踏破中のプロアスリートだと知りました。写真撮っておけば良かった。
明神に降り立ちホッと一息。
徳沢から最新ファッションでキメた登山者が続々下山してくる。が、ジャージ&運動靴は全く見かけず。こうなりゃトコトンこだわるぜ!(ウソです。単に金欠で買えないだけです。)
帰りのバスが、穂高の撮影スポットで一時停車し、運転手さんが「ここで、「穂高よさらば」です。バスガイドさんがいれば歌ってもらえるのですが・・・」と案内しました。諸先輩が熱い想いを込めて愛唱されたこの歌、元歌が軍歌で作詞が、かの芳野満彦氏と知ったのはだいぶ後になってからです。うろ覚えながら思わず口ずさみ「今では交友すらなくなった先輩方、どうしておられるのかな?」と懐かしく思いました。
ただ、周りのシルバー軍団は「穂高よさらば・・・ 何それ?」と、きょとんとしたまま。(ガクッ)
「先人が築いた登山文化を継承してこそ、山の日が制定された意義があるのではないか」「最新の用具やファッションでキメて登るのも悪くないけど、それだけではメーカー&山岳業界人に踊らされているだけではないか」と、小さな声で言いたくなりました。
ウォルター・ウェストン、小島 烏水、槙 有恒・・・日本アルプスを開拓した先人に思いを馳せるつもりの山旅が、最後、辛口小言になってしまった。(何でやねん・・・)でも天気が良く、徳本峠から穂高の大伽藍を眺めることができて良かったです。(了)