登山家に読書家は多い。いや多かったというべきか?少なくとも20年前は、山で集会でテントの中で、山の本が話題になることは多かった。

 さて、私達は毎月会報を発行していますが、昔も今も会報担当は、原稿が集まらないことに頭を痛めています。私思うに原稿を書くには、充実した山行が大前提ですが、それにプラスして、書こうと思えば読まねばならない。多くの本を読むことで、書くイメージがふくらむのではないでしょうか。

 新連載がスタートするにあたり、この連載によって山の本に興味がわき、登山の楽しみが深まるとともに、会報がより一層充実すればと思っています。

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 1983年、私は関西岩峰会に入会し本格的に登山を始めた。それまで冬山には登っており、岩にも興味を持っていましたが、本格的な岩登りは初めての経験で、登る以前にザイルの結び方も登攀用語も、まだあまりよく知りませんでした。

 それで「どんな本を読んで勉強したら良いのですか?」と、チーフリーダーの金森さんに聞くと、小西正継の「ロッククライミングの本」が良いと薦められました。このとき、日山協チョゴリ北稜隊(1982年)の登攀隊長として、小西正継の名前は知っていましたが、どんな人かは知りませんでした。

 さっそく本屋で買って読んでみると、これが従来の教科書とは異なるユニークな構成で、読み物としても実に面白い。岩登りから氷雪技術にいたるまで、実践に裏打ちされた技術解説が、適確で分り易いのはもちろんのこと、単なる技術書にとどまらず「より強いアルピニストを目指す」ポリシーとスケールの大きさに、これこそ「登山の本道」と大いに刺激されました。

 この本で小西正継の著書に興味がわき、すぐに文庫本で「マッターホルン北壁」を読むとこれがまた面白い。マッターホルンの歴史からアルプスの冬期登攀のながれに始まり、仲間達と北壁を目指した猛烈なトレーニング、あこがれが自信に変わっていく過程、冬期第三登の輝かしい記録まで、核心をズバッとつく書き方と絶妙な話しのもり上げ方に、なんとうまい文章を書く人かと驚いた。

 それまで、登山という冒険的行為(と私は思っている)の表現に、いまひとつしっくりくる本を読んでいなかったので、小西さんの文章には一気に引き込まれた。

 続けて読んだ「グランドジョラス北壁」では、厳冬の北壁で大寒波襲来の中、隊員6人で合わせて27本の指が失われる凄絶な登攀に圧倒され、おもわず熱中して読んだのを覚えています。

 その後も小西さんの著書は、機会あるごとに買い求め、全ての著作は読みました。もっとも軟弱もんの私に、小西正継が目指す山を実践できるはずはありません。全く別次元の世界です。それでも小西さんの著書から、山を通じて自分の可能性を広げ、限界にチャレンジする精神は、汲み取っていけたと思っています。

 さて、1983年のエベレスト南稜(山学同志会隊)以降、小西さんの活躍も聞かれなくなり、第一線を退いたと思っていた1994年、シルバータートル隊で小西さんがダウラギリに登頂したのを雑誌で読んだ。が、しかし、その登り方を知って驚いた。いや信じられなかった。

 あの小西正継が、ルート工作も荷揚げも全てシェルパ任せ、酸素パカパカ吸って8000m峰を登る。金にあかせた「エクゼクティブ登山」に、もうガックリしてしまった。仲間うちでも「幻滅やで・・・」「小西正継にこんな山をして欲しくなかった・・・」等々、ブーイングが続出した。

 小西さんは「・・・若い時ならこんなの山登りじゃねーとなるが、歳もとったし、アルピニズムという道楽をそう難しく考えず、この歳になって体が高所で動くか動かないかをポイントにした・・・」と寄稿していましたが、本棚に並んでいる小西さんの本が、しらけて見えたのは否めません。

 その後、小西さんは、‘95年にシシャパンマに登頂し、’96年にマナスルに登頂したものの、下山途中に帰らぬ人となられたのは周知の通りです。遭難とは無縁とも思える「エクゼクティブ登山」で起こった事故にとやかくは言えませんが、やはり小西さんほどの登山家は、金権登山に徹し切れなかったのでは・・・と思ったりしています。

 今年になって、何人かの人から技術書に関する質問があり、久しぶりにこの本を開けました。当時と比べ技術も装備も登攀スタイルも格段に進歩している現在、さすがに技術書としての価値は少なくなっています。

 しかし技術や知識の奥にある登山観は、いささかも色褪せていないと強く感じるとともに、この本を読み、熱く燃えて金毘羅に通った日々を懐かしく思いました。

参考

  「ロッククライミングの本」 著者 小西正継 (白水社 初版1978年)