記 長谷川 陽子 

 すっかり御無沙汰致しております。会報を見せていただく度、新しいお名前があり、活気を感じています。

 全ての山の思い出が、育児と家事で頭の中から追い出されている中、引っ張ってきたのは、山スキーのオートルート・一ノ越からタンボ平・新穂から双六。歩きの尾瀬・谷川・穂高。冬山の北八ツ。タイトルからすれば一つに絞るべきでしょうができませんでした。
 

 山スキーのオートルートは、ヨーロッパの山のスケールの大きさ、山小屋のシステム、スキーに対する感覚の違いに感激・感心etc。一ノ越・タンボ平は私が山スキーに足を踏み入れた最初の一歩でした、その時連れて行ってくれた人と後に結婚することになろうとは・・・。新穂・双六もハードな山スキーでした。この山行を最後に私はアスファルト生活に入ったのでした。これらのルートは「二度と来るものか」と思ったきついものでした。しかし、逆に「是非、もう一度行きたい」と月日が経つ程、思えてきたルートです。

 歩きの尾瀬・谷川と穂高は、当時私のパートナーだった富岡享子さんと女2人、親の心配を背に。少々びくびくしながらの山行でした。気の許せる女2人の気楽さと緊張感あふれた山行で、まさに青春の1ページ的存在です。

 冬山の北八ツ。新人だった私は晩秋のアイゼントレに始まり、比良でのトレーニングを経て、中西さん、中村さんに成人式連休に連れていっていただきました。カラカラに乾き、凍っている世界。ピンと張りつめた空気の北八ツで天狗のピークを踏んだ時は、初めて冬山を味わった感激と、ここまで来るのに幾人かの方に指導していただき、ずっと冬山に反対していた母が許してくれたことなどに感謝し、涙が止まらなかったことを思い出します。(この時程、謙虚な気持ちだったことは、後にも先にもこの時だけだったような気がします。)

 

 という、とりとめもない「私の思い入れの・・・」になりました。おまけに、つめつめに書いたらスペースが余ってしまった。原稿を書くというような作業から離れて、ずい分なるもんで。

 今は育児という山あり谷ありのルートを一生懸命歩いています。

 岩峰の山行に参加できる日と、家族でテントに泊まれる日と、山スキーに行ける日を楽しみにしています。

 

 次は白馬から富岡享子さんです。